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短めの更新・・・

昨日、北陸新幹線に関する記事を更新しましたが・・・。
本日、新型コロナウイルスの影響で「5月28日以降のかがやきは、当面の間運休」と発表されました。
5月28日以降、「はくたか」と「つるぎ」のみの運行となりますので、「新高岡駅全列車停車が実現」という秀逸なツイートも見かけました(笑)

いつ、県外に旅できるようになるのでしょうか・・・。



そんな中、緊急事態宣言が明日にも解除されるとか、されないとか。
全国的な外出自粛の効果があったのか、第1波は思ったよりも早く落ち着きました。
しかし、第2波、第3波も今後考えられる状況・・・。
これからどうなるかわかりませんが、体調には気をつけながら、日々行動していきたいです。

健康第一ですが、長く続く自粛ムードで経済も落ち込み、人の心も落ち込む日々・・・。
宣言解除によって、その辺の回復も進めばいいなと思います。



まだまだ先になると思いますが、元通りの日常が戻る時を願い、困難を乗り越えましょう!


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北陸新幹線開業から5年(と2ヶ月くらい)





2015年3月14日(土)、北陸新幹線開業日の新高岡駅。







北陸新幹線長野~金沢間の開業から、早5年が経ちました。
3月には県内各駅にて記念イベントも開催される予定でしたが、新型コロナウイルスの影響で中止に。
また、都道府県をまたぐ移動の自粛要請もあることから、現在は壊滅的状態だと思います・・・。



1960年代、「北回り新幹線」と呼ばれていた頃からあった北陸新幹線構想。
北陸の人にとって長年の夢でありましたが、なかなか実現に至らず。
祖父も'70年代・'80年代に、著書で北陸新幹線開業後の高岡について記しており、
私も幼少に父と北陸新幹線の話をして楽しみにしておりましたが、とうとう祖父も父も新幹線開業を見ることはできませんでした。

先日の「10年間の反省」でも書いた通り、新幹線や道路などのインフラ整備に興味のあった私。
昔からとにかく地図を見るのが好き、っていうのが大きいと思います。
幼少期に北陸新幹線のことを父から聞いた後、中学3年の選択社会科で「飛越能」など新幹線開業後のまちづくりについて学んだことから、特に高校以降は「北陸新幹線」が大きな興味分野となりました。
インターネットで、北陸新幹線のページを見たり、高岡市のホームページでも新高岡駅周辺まちづくりのページをよく見ていました。

この頃は「北陸新幹線長野~金沢駅間、2014年度末開業」と言われていたと思いますから、
約5年後に迎える夢のような出来事を、心待ちにしていました。



一方、「新幹線が来ただけで、まちが活性化するわけではない」というのも、当時から頭に入れていました。
ケーブルテレビで放送された、地域エコノミスト・藻谷浩介先生の講演で、学んだことでした。

この時の高岡は既に「地域衰退」の波に飲まれている状態。
新幹線構想が浮上した高度経済成長期とは違い、人口も減り、地域経済も落ち込んでいる頃。
この衰退は、簡単に戻るものではないだろうなと、高校生の私でもなんとなく感じとっていました。
藻谷先生のおっしゃるように、「新幹線が来ただけではダメ。まちが変わるかどうかは、地元の人の努力次第」。
これを肝に銘じていたつもりでした。



・・・所詮、「つもり」に過ぎませんでした。
言葉では分かっていても、その「地元の人の努力」とは一体何なのか、具体的に何をすればいいのか、全く分かっていなかったのです。



何もできないまま迎えた2015年3月14日(土)。
あの時は、「とうとうこの時が来たか」と、胸を高まらせていたと思います。




しかし、その後の高岡は、あまりいいニュースはありません。
観光客は増えてきたものの、地域活性化には何も繋がらず、ついには行政も財政難に。
あと、正直因果関係はないと思っていますが、高岡大和の閉店というニュースもありました。

「北陸新幹線の恩恵を一番受けていない残念な町は、高岡だ」という報道もあったような気がします。
うろ覚えです。
あまり中身を読みたくもなかったので・・・。

結果、私が思い描いていた新幹線開業後の夢も、
もっと言えば祖父や父が思い描いていた新幹線開業後の夢も、夢に過ぎなかったのかなと。
そう思うと、なんだか虚しいですね。

そして何よりも、「新幹線が来ただけでは・・・」と早くから学んでいたのに、何もできなかったことを非常に悔いています。






さて、新幹線開業後の高岡でよく聞いたのは、この2つかなと思っています。



① なんかポジティブな話:新高岡駅に「かがやき」停車を!
② なんかネガティブな話:現駅併設にしなかったから・・・



これらについて、正直な感想。
大変申し訳ないですが、どっちも、どうでもいいと思っています。
なんというか、今言うべきことじゃないよなぁと、常々感じてきました。



まず、ポジティブ運動の方。
開業を目前に控えた2014年、速達型列車「かがやき」が、新高岡駅に一切停車しないと発表。
その後臨時列車の停車が発表され、1日1往復の停車で開業を迎えました。

こうして、通常列車の停車駅発表の頃から、高岡で「かがやき停車運動」が起こるようになりました。
在来線時代は特急がほぼ全て停車していた高岡。そのプライドもあったのでしょうか。
主に行政を中心として、新高岡駅の利用、特に「かがやき」の乗車を呼びかける運動が続きました。
しかし、その願いも虚しく、現在は1週間に1往復となりました。

新高岡駅の利用自体は、私も推進したいと思っておりますし、北陸新幹線利用時は可能な限り「かがやき」に乗車しています。
でも、ただ闇雲に「かがやきを停車しよう!」と運動することが、果たして高岡のためになるのか、正直疑問に思うのです。

確かに「かがやき」は停車駅も少なく、とても速く感じます。
しかし、「はくたか」も十分速いです。乗り換えなしなのは、変わりありません。
私が学生の頃は新幹線開業前。越後湯沢での乗り換えが必ず発生したあの頃を考えたら、かなり便利になったと思います。
「かがやき」に越したことはないけど、「はくたか」でもいいじゃないかと感じます。

それに、やっぱり世の中の経済活動は「需要と供給」が基本。
まちづくりも、これを無視してはいけないです。新幹線利用も一緒です。
新高岡駅の利用を促進したいのであれば、新高岡駅の需要を生み出す必要がある。
そのために「乗ろう運動」を行うことも大事かもしれませんが、それだけで成し遂げられるものではないと思います。
実際に、運動は実っていないのですから・・・。
実らなかったのは、運動が足りなかったからではなく、やり方が間違っているからでしょう。

新高岡駅の需要を生み出すためには、まず高岡(+飛越能)に、新幹線での来訪需要を作らなければいけない。
つまり、「来てもらえるまち」にしなければならないと思っています。
それなしに「来てくれ」とだけ言っているのは、順番が違うような気がするのです。

そもそも、一番大事なのは、新幹線利用によって高岡に経済効果を生み出すこと。
「かがやき」を停車させることは、その手段のほんの一部に過ぎませんし、やり方を間違えれば手段にすらならない可能性もあります。

まとまらない文章になりましたが・・・。
以上のことから、5年以上続く「かがやき停車運動」に、ずっと違和感を覚えてきたのでした。






続いて、ネガティブな方。
正直これは、新高岡駅に割と近いところに住んでいることもあるので、贔屓目はあるかもしれません。
そのことは予めご理解ください・・・。

そういう贔屓目もあるのかないのか、新高岡駅が、在来線高岡駅と分離したことについて、
特に否定的な考えはないまま生きてきました。
否定的な意見が一定程度あることを知ったのは、開業後のことだったのです。
今もなお、「分離駅にするべきではなかった」という意見を聞きますし、「駅を分けたから、高岡はダメになったんだ」という話を耳にしたこともありました。

これについて、率直な感想を申し上げれば、「今更そんなことを言っても仕方ないだろう」というところ。
30~40年前に「現駅併設運動」を行った人もいましたが、それでも叶わなかったのだから。
なってしまったものは、もうどうしようもないです。

また、それで高岡がダメになったという話については、たぶん関係ないと思う・・・。
特に中心市街地の話だと思いますが、確かに新幹線が来ていたら少しは違っていたかもしれません。
でも、前述の通り、新幹線が来たからと言って簡単に変わるわけでもない。
まず、衰退を誰かのせいにしている時点で、きっと何をしても衰退してしまうのだと思います。

それに、確かに分離駅にはなりましたが、大して距離は離れていないと思うのです。
日本国内、新大阪駅や新横浜駅をはじめ、多くの分離駅が存在。北陸新幹線でも、上越妙高駅や黒部宇奈月温泉駅が分離駅です。
分離駅の中では、東海道新幹線の新富士駅に次ぐ在来線駅との近さと聞きました。
聞いた話でちゃんと調べてないので、違っていたら申し訳ないですが・・・。
いずれにせよ、高岡駅・新高岡駅よりも離れているところは、たくさんあると思います。
なぜ高岡は分離駅にこんな否定的になっているのか、正直よく分からないのです。

もっとも、両駅間の接続や、心理的距離に課題があるなぁとは、この5年間思い続けております。





先程少し書きましたが、一番大事なのは、「新幹線利用によって高岡に経済効果を生み出すこと」。
それは、かがやき停車運動をしても、分離駅になったことを今更否定しても、成し遂げられないと思います。

なので、新幹線開業後に出たこれらの話は、違和感しかありませんでした。











北陸新幹線新高岡駅と国宝瑞龍寺を結ぶ「瑞龍寺道」。
新幹線開業に向けて整備された参道。





新幹線開業から早5年。これからどうしていけばいいかの話ですが・・・。
もう5年も経ちますので、新幹線は関係なく地域活性化に取り組まなければいけないなと思います。
それに、新型コロナウイルスの影響で利用も低迷しているので、いったん新幹線のことは忘れるくらいの気持ちで。

ただ、先述の「高岡駅~新高岡駅間の接続と心理的距離」については、解決しなきゃいけないなと思います。
今回もアイディアを色々考えてみました。




①城端線の本数増(無理かな・・・)
②氷見線・城端線の直通化、もしくは万葉線の新高岡駅延伸(これも夢か・・・)
③路線バスの維持と周知
④駅南大通りの無電柱化と歩道整備
⑤瑞龍寺道の周知と店舗誘致
⑥新高岡駅を発着とした市内観光、飛越能観光の企画と発信




正直、夢のまた夢のような話が多いですが・・・。
氷見線・城端線のLRT化が最近話題となっているので、①②あたりもいずれ実現化するかもしれません。

城端線の本数が増えれば理想的ですが、路線バスのアクセスはかなりいいと思います。
10分に1本、両駅間の所要時間8分なので、利用しやすいでしょう。
ただ、周知が足りないのか、高岡はマイカー文化で路線バスは馴染みがないのか・・・。
もっと周知が必要かなと思います。

④は、夢のまた夢・・・。
今は高岡駅から八丁道あたりまでは整備されていると思いますが、ああいう無電柱化で広々とした歩道は、歩きやすいです。
新高岡駅まで、安心して歩けるような歩行空間があれば、理想です。

歩行空間と言えば、⑤の瑞龍寺道。
庄方用水沿いなど、新高岡駅から国宝瑞龍寺を結ぶ参道として整備された道ですが・・・。
とてもいい歩行空間なのに、いつ見ても人が歩いていない。
こちらももうちょっと周知する必要がありますし、沿道に空き家を活かした店舗などの誘致もあればいいなと思います。

いずれにせよ、駅南や京田など高岡駅~新高岡駅のエリアを魅力的にするのも大事だなと思います。




長くなりましたが、新幹線開業から5年で、高岡は大きく変わることができませんでした。
もちろん私一人の力でどうにかなる話ではありませんが、この10年動かなかったことは本当に反省です。
高岡が変わるかどうかは、新幹線が来るかどうかではなく、市民が活性化に向けてどう行動したかだと思うので、これまで動けなかった分頑張りたいです。



10年前を思い出して、しみじみ

本当は別の記事を書いていたのですが、今日中に間に合わなそうなので、急遽記事変更・・・。
(書いている途中のやつは、明日更新します)



個人ブログなので、ネタ切れの時は、時々関係のない雑談で繋いでいきたいと思っているのですが・・・。
そういえば学生の頃は、ブログで競馬予想を書いたり、自作の詩を書いたりしておりました。
でも、このブログにそれを書くわけにもいかないなと(笑)




競馬は2月末以降、無観客で続いておりますが、昨日はNHKマイルカップ(GⅠ)がありました。
ちょうど10年前の2010年、荻布寮メンバーや中学の同級生、その友人など6人で現地観戦した思い出が蘇ります。
東京に来て初めてのGⅠ観戦。
それまで「仲間と競馬に行く」という経験がなかった私は、とても楽しかったのを今でもよく覚えています。



今日、その時一緒に行った寮の同期が誕生日だったので、久々にLINE。
パパになったとのことで、とてもおめでたいです。
(私はそのような報告ができる日が来るのだろうか・・・)



その後続いた思い出話。
もう、入寮したのは10年前なんだなと、しみじみとした気分になる今日この頃です。



空き家問題の話

今年の春まで市役所の臨時職員として、主に空き家対策の業務に携わりました。

それまで「空き家のまちづくり」と言えば、「空き家活用」ということしか頭にありませんでした。
全国的に、空き家を活用した飲食店や宿泊施設などが有名になり、高岡市内でも実際に活用した例がいくつか注目されています。

しかし、それは言ってみれば「陽の当たる部分」だなと、実際に空き家業務に携わってみて感じました。
実際の「空き家問題」は、高岡市内でも何千軒と存在する空き家について考えなければならない。

実感としては、「近隣の空き家に関する苦情」が圧倒的に多かったなと思います。
1980年代(新耐震基準後)に造成された住宅団地に生まれ育った私。
近隣に空き家はあっても、それで困った経験はなかったので、正直このような現状があることを全く知らなかったのです。

また、「手放したいのに売れなくて困っている」といった空き家所有者の声も、よく耳にしました。

そういった話が大半なので、実際に活用される例なんてほんの一握り。
しかもテレビなどで取り上げられるような華やかなパターンは、本当に「陽の当たる部分」でしかないのです。




何千軒と存在する空き家の実態把握と、問題のある空き家への対応、空き家バンクなどの活用に向けた取り組み・・・。
少数のスタッフの中で途方もない作業となることもあるほど、「空き家」というのは大きな課題でした。




さて、そもそも何故「空き家」が増えているのか。
これも空き家業務に携わるまで、あまり考えたことがありませんでした。
また、実際に携わってからしばらくは、日々のことで一杯一杯になり、考える余裕もありませんでした。

でも、考えてみたら、簡単な話なんですよ。
簡単な話なのに、それまで全く気づかなかったわけです・・・。



空き家が増えている理由。
それは、「人が減っているのに、家が増えているから」。



このことは、国が5年に1度行っている「住宅・土地統計調査」などでもはっきりしています。

平成30年住宅・土地統計調査(総務省統計局ホームページ)

また、高岡市の統計でも、人口は減っているのに、世帯数は未だに増え続けています。
もちろん、世帯数にはアパートなども含まれていますが、持ち家も含めた核家族化が進んでいると言える数字でしょう。



人が減っているのに、家はむしろ増え続けている・・・。
そりゃ、空き家が増えて当然ですね・・・。




日本は「新築志向」が強いと言われています。
以前、とある講演で「欧米は住宅流通のうち中古住宅の割合も高いが、日本は未だに新築が8~9割を占める」という話を聞きました。
(数字についてはうろ覚えです・・・)
高岡でも郊外での新築住宅が好まれている印象を持ちますね。

なおかつ、昨今言われている「核家族化」の影響。
でも、もうこれは仕方ないとは思います・・・。
三世代世帯の時代ではないですし、結婚して相手の両親と同居・・・嫌に感じる人は多いでしょう。

そして、特に富山県で言えることですが、「持ち家率」の高さ。
「家を持って一人前」という文化が、今も残っているのかもしれません。



これらを踏まえ・・・。
結婚して所帯を持ったら、実家を離れて新築。
実家の両親はやがて年老いていき、家を引き継ぐ人もいないので、空き家に。
また、子どももやがて独立するため、新築した家も同じ運命をたどるわけです。

結婚しても親と住め、と言うわけではありませんが、
親が住んでいる実家や、これから住む家が将来どうなるか、しっかり考えてから新築するべきかなと思います。



こうした空き家を増やさないために、個人レベルでできることを考えてみると・・・。





①新築せず実家で親と同居する(まあ、一応入れておきます・・・)
②新築ではなく中古住宅を購入する
③持ち家にこだわらず、アパートや借家で人生を過ごし、老後に実家暮らしする
④実家や新築住宅の将来の活用や処分方法をしっかり考えてから、新築する





こんなところですかね・・・。
いずれにせよ、相続で引き継いだ空き家を放置するような無責任なことだけは、絶対にしないようにしたいです。

私も、将来所帯を持つことがあれば、少なくとも新築だけはしないかな。
せめて中古住宅を考えたいと思います。








もっとも、結婚の予定は、ありません・・・。



高岡大仏の観光地としての未来




先日、こんな記事を書きました。

高岡古城公園の観光地としての未来




今回は、この「高岡大仏」バージョンを書いてみたいと思います。





観光ボランティアガイド「やまたちばな」のもうひとつの担当エリアとして、
更にこれから地域活性化事業を仕掛けていく拠点のエリアとして、「高岡大仏」という観光地があります。

高岡古城公園とは違い、市民にとっても「観光地」としてのインパクトは強いと思います。
県外の人に「高岡って何が有名?」って聞かれた時、「高岡大仏」の名前を挙げる人は、多いでしょう。

また、あくまで目視での印象ではありますが、高岡大仏に立ち寄ると、観光ツアー団体とよく出くわします。
平日の日中、ずっと大仏エリアにいた日があったのですが、特に9時前後と15時~16時頃を中心に、結構な数の団体が出入りしていました。
今は新型コロナウイルスの影響で壊滅的だと思いますが、それまでは観光客も多かったでしょう。
(高岡市の統計では、平成28年~平成30年は、年間9万人前後)




しかし、「稼ぐ観光地」という目線では、まだまだ足りない部分が大きいと思っております。

やはり、高岡大仏自体は入場料なし、観光バス駐車場無料というのはもちろんですが、
それ以上に、下記の2点が重要な課題かなと思います。




①滞在時間が極端に短い

②特にツアー客だと、周辺の店舗や観光地に立ち寄らない







①滞在時間が極端に短い

2018年、県内ローカル番組にて「高岡大仏の平均滞在時間は2.1分」というデータ(富山大学の調査)が発表され、衝撃を受けました。

考えてみれば、高岡大仏前公園は広くないので、そんなに長居はできません。
「長時間滞在」には向かない観光地なのかもしれません。

ちなみに、やまたちばなに依頼のあるガイド(やはりツアーバス中心)は、だいたい20分くらいです。
ほとんどが、観光バス駐車場発着です。
(現地ガイドも特にいらないという判断が多いのか、ガイド依頼は古城公園と比べてまちまちです)
後述しますが、お金が落ちる機会がほとんどありません。





②特にツアー客だと、周辺の店舗や観光地に立ち寄らない

高岡大仏は高岡古城公園と違い、周辺の店舗に行きやすいところが利点だと思います。
また、場所的にも、少し歩けば高岡古城公園、山町筋などの観光地にも行けますし、高岡駅にもそこそこ近いです。
うまく行程を組めば、高岡大仏観光と併せて様々な観光を楽しめます。



しかし、観光バス駐車場発着のツアー客は、そうも行きません。
先述の通り、20分程度しか滞在しないので、駐車場から大仏まで移動し、添乗員かガイドが説明しながら回廊まで巡り、トイレ休憩も挟めばあっという間に出発時間です。
急ぎ足で周辺の店舗に立ち寄ることは、まだ可能かもしれませんが、ゆっくりすることはできません。
何も買わずにバスに直行する人も、よくいました。

当然ながら、周辺の観光地には立ち寄りません。
ただ、高岡大仏を行程に組むツアーは、高岡古城公園観光の中心である「名城ツアー」と比べたら、瑞龍寺など市内や県内の観光地を訪れる傾向は強いと思います。







~①②ひっくるめて、解決策を考えてみる~







エリアも含めた滞在時間増を図り、周辺店舗等に利益をもたらさなければなりません。
滞在時間を増やすには、やはりエリア自体が変わらなければならないわけですが・・・。

大仏へ結ぶ「参道」周辺の充実した出店・・・今のところ出てくるアイディアはこれくらいです。
もちろん、新たなる観光ルート開発やその営業も必要だと思います。
御旅屋セリオに地場産業センターが移転するということで、一体となったツアーとか、色々。

これはまだまだ考えていかなければならないです・・・。



馬の話

10年間の反省にも書いたことですが・・・。
「まちづくり」に携わる時や、自ら「まちづくり」事業をおこす時、自分の得意分野やスキル、趣味などを活かすのが大事と学びました。

しかし、高校生の頃から「まちづくり」そのものを漠然と興味分野としていたので、それ以外の趣味があまりなく、得意分野やスキルもほとんどない状態だということに気がつきました。



そんな私の「まちづくり」以外のほぼ唯一の趣味と言えば・・・「競馬」になります。




競馬に興味を持つようになったのは、2000年の夏。当時8歳の小学3年生。
もうこの夏で20年を迎えます。

一番のきっかけとなるのは、プレステのゲーム「ダービースタリオン'99」でしたが、
元々祖父・父とコアな競馬ファンで、幼稚園時代から既に馴染みはありました。
5歳だった1997年には父と共に小倉競馬場へ足を運んでいます。

「まちづくり」同様に血を引く形になるので、必然と言わんばかりにコアなところまで行ってしまうわけです。
そして、小学時代からの趣味なので、ギャンブルという感覚はあまりなく、一スポーツとしての観戦で今日まで至ります。

ただ、やはり実際はギャンブルなので、周りからの偏見に苦しむ人生でした。
特に高校生の頃までは、周りに競馬ファンもいないため、陰キャラも重なり「まちづくり」同様「人に言えない趣味」になりつつありました。



2010年、大学進学と同時に東京へ。
高岡にいた頃は年に1~2回程度、家族で新潟か京都に行くくらいしかできませんでしたが、
東京に住んでいた4年間はほぼ毎週の頻度で東京競馬場などに通いました。

また、大学では競馬サークルに所属。荻布寮でも競馬仲間ができました。
その後、大学3年生の秋には、学生団体「うまカレ」に所属。
「ギャンブルではない競馬の魅力を伝えたい」と活動するメンバーに、強く刺激を受けました。

一方、小学時代から「競馬評論家」「競馬ライター」への夢を抱いていたのですが、
うまカレメンバーは本当にすごい人が多く(後の競馬記者やJRA職員なども)、「上には上がいる」と実感。
競馬熱は負けていない自信があったのですが、人生で一番「井の中の蛙」という言葉が身に染みて・・・。
競馬熱があっても、彼らと違って人間が出来上がっていない自分には、無理だなと思いました。



大学を卒業して高岡にUターンした後は、本当に一趣味としてテレビ観戦、時々競馬場現地に遠征をしております。
2018年には念願の札幌競馬場へ足を運び、21年の歳月を経てJRA競馬場全10場完全踏破を果たしました。

小倉競馬場:1997年8月10日(小倉記念の日)
京都競馬場:2003年5月17日(京都ジャンプステークスの日)
新潟競馬場:2003年8月23日(新潟ジャンプステークスの日)
中山競馬場:2010年4月17日(中山グランドジャンプの日)
東京競馬場:2010年4月24日(上京後初の東京開催日)
中京競馬場:2012年3月25日(高松宮記念の日)
福島競馬場:2012年4月7日(東日本大震災で丸1年の中止後、再開された日)
阪神競馬場:2013年3月9日(阪神スプリングジャンプの日)
函館競馬場:2013年8月24日(札幌工事のため函館開催、エルムステークスの日)
札幌競馬場:2018年8月19日(札幌記念の日)

(こうやって見ると、ジャンプ重賞の日が多い・・・)


次なる目標は、地方競馬場の完全踏破ですが、これは金沢、大井、川崎、船橋、浦和、名古屋しか制覇しておらず、まだまだ遠い道のりです。





新型コロナウイルスの影響で、2月末以降、JRAも地方競馬も無観客開催。
ウインズなどの場外馬券発売所も閉鎖しており、現在はインターネットや電話投票のみ。

あくまで「観る」方の人間なので、馬券はあまり買わなかったのですが、やはり主催者の収益源は馬券収入。
これを機に、とうとうインターネット投票をするようになりました(笑)
でも、がっつりやり始めると、本当にお金がなくなってしまうので、控えめに・・・。
(馬を見る目がないため、馬券は当たりません)




・・・と、競馬についてこれまでの思いを書きました。
正直な話、ここに来て「競馬ライター」の夢が再燃し始めてもいます(笑)

大学卒業以降、「あくまで趣味」と諦めていましたが、競馬との関わり方も見つめ直してみたいなと思います。

そして、今すぐには難しいですが、いずれ「まちづくり」に活かせないかも、考えてみたいと思います(笑)



高岡大和の閉店で当時思ったこと

2019年4月11日、高岡に衝撃のニュースが走りました。

「高岡大和、8月末で閉店」





あのニュースから早1年。8月25日の閉店からも、もう8ヶ月が経過しました。


1937年に「丸越」としてオープン。その後1943年に「大和」となり、大和としての歴史は76年。
「丸越」を含めたら82年の歴史でした。
高岡で唯一の百貨店だったこともあり、長年「高岡(中心市街地)の顔」として親しまれてきたと思います。

しかし、中心市街地衰退の波に飲まれてしまったのか、近年は厳しい状況になり、残念ながら閉店となりました。


やはり寂しいという声が非常に多かったと思います。
また、「高岡は終わった」などの声も、報道にありましたね。
このように高岡の将来を憂う声も、少なくなかったような気がします。

でも、正直これがよくわかりませんでした。




確かに、私も寂しいと思いました。
もう再開発ビル御旅屋セリオに移ってからの歴史(1994年以降)しか知らない世代ですが、幼稚園、小学、中学、高校と、それぞれ思い出が浮かびますし、小さい頃は特にワクワクするような建物だったと思います。
また、大学時も帰省時に立ち寄ることがありましたし、Uターン後もイベント等で何かと足を運んでいました。
なので、閉店のニュースを聞いた時は、ショックもありました。

でも、思い返してみると、最近高岡大和でどれくらい買い物をしていたか。
中に入っていたパン屋やカフェでたまに買い物・食事をしたくらいで、それも年に1回あるかどうか。
イオンモールはあまり行かないと公言している私でも、結局はイオンモールで買い物する頻度の方が高かったりします。
少なくとも私自身は、生活に必要な存在だったかと言えば、全くそうではなかったのです。

これは私だけではないのではないでしょうか。
大和がなくなって、生活に困るという高岡市民は、今ではそこまで多くなかったのでは。
(もちろん近隣の方にとっては、買い物するところがなくなるというダメージがあったと思います)
そうでもなければ、閉店に追い込まれるようなことは、ないと思います。



そもそも、地方の百貨店自体、もう時代に合わなかったのではないでしょうか。
日常の買い物なんて、郊外店舗で全て済ますことのできる時代。
百貨店の閉店で「高岡が終わった」と思うのは、「高岡の顔」という古くからのイメージが払拭できなかったからであって、もう既に「高岡の顔」でも何でもなかったのかもしれません。

また、地域経済ということを考えれば、もしこれが「高岡に本社がある大手百貨店の倒産」という話であれば、高岡にとっても結構なダメージだと思います。
しかし、あくまでこれは県外資本店舗の撤退です。
なので、正直これをもって「高岡が終わった」という考えには、全く至らなかったのです。
(そもそも、県外資本店舗を「地域の顔」と呼んでは、いけなかったのでは?)


高岡が暗澹とした空気になっていたあの頃、私はこんなことを思っていたのでありました。




そして、閉店決定時から、今でも言われ続けているのは、「跡地の活用」。
行政にとっては重要課題として扱われ、市民にとっても関心の高い話題となっております。

そもそもビル自体は「御旅屋セリオ」という再開発ビルのため、全てのエリアが閉鎖されるわけではありませんが、今でも一部のエリアが閉鎖となっています。
報道でも、SNS上でも、その跡地活用について様々なアイディアが浮上していました。

でも、正直思ったのは、今焦ってテナント誘致をしたところで、そんなに大した結果は出ないんじゃないかなと・・・。
御旅屋セリオを含めた中心市街地に、どうやったらテナントが出店してくれるようになるか、しっかり考えなきゃいけないような気がします。
それなくしていきなりテナント誘致だけしても、果たしてどうなんだろう・・・。

「中心市街地の活性化」は重要なテーマですが、「御旅屋セリオの跡地活用」はその手段でしかないので、まず大元の方向性がしっかりしていないと、手段ばかり先走ってはいけないと思うんです。

これも閉店当時思っていたことです。




その後、市が御旅屋セリオのフロアを買い取るという話になり、
市部署の一部移転、高岡地域地場産業センターの移転、eスポーツの拠点開業など、様々な話が進みました。
元々公共施設の入居もあったビルですが、その色合いが更に強まるようです。



「中心市街地の活性化」は、私も重要だと思っています。
ただ、地域経済の話になりますので、本来は「行政が補助金でなんとかする」話ではないはずです。
新しい形の活性化が必要だなと思っていますが・・・頭が固いので何も出てきません(笑)



静かな黄金週間

今年の黄金週間は、静かに終わりを告げました。

去年の10連休を思い出します。
平成から令和へと時代が変わる瞬間でしたし、連休が終わるのがとても憂鬱でした。

まさか1年後、こんなことになるとは・・・。



私も3月31日の退職後はほぼ家で過ごしているため、連休という感覚はありませんでした。
事業の構築や、やまたちばなの事務などが溜まっている状況ですが、能力がなくて進みません・・・。



ニュースやネットを見ていると、こういう非常時に、人間の悪いところも露わになるし、いいところも明らかになるなと思います。
こういう時に無力なのはとてもつらいですが、コロナ終息後の未来を見て、生きていきたいと思います。




本当は違ったネタを書きたかったのですが、時間も時間なので、これで毎日更新を保ちます(笑)



高岡古城公園の観光地としての未来



 本丸と梅林曲輪を結ぶ赤い橋「朝陽橋」は、高岡古城公園名物。
 また、内堀に「お濠巡り遊覧船」が運航している。












ここ数日の投稿にもあります通り、2014年より、高岡古城公園(高岡城跡)と高岡大仏を拠点とした高岡観光ボランティアガイド「やまたちばな」に所属。
未熟ながら、2019年からは代表を務めております。

入会当初は、喋りに自信がないことからなかなかガイドに踏み出せず、高岡古城公園のガイドをようやく一人でできるようになったのは、2018年のことでした。
それからは、ガイド活動が楽しくなり、ここ2年で結構な数のガイドをこなしたと思います。

主に担当するガイドは、観光協会経由で依頼が来る大手旅行会社のツアーバスです。
時々個人客の方もありますし、一度だけですが射水市の中学生(宿泊学習)にガイドしたこともありました。

北陸新幹線開業後、ガイドの依頼が大幅に増え、特に桜・紅葉の季節(4月と11月)は月20~30件レベル(2019年)。
今年の4月も、新型コロナウイルスさえなければ、かなりのガイド依頼がある予定でした。




元々、高岡古城公園が好きだった私。
高岡のまちづくりに興味を持ち始めた2008年頃、観光地にも関心を持つようになったのですが、特に古城公園が一番だと思っておりました。
(それまでは、ただの公園と思っておりました・・・)

2014年に観光ボランティアガイド養成講座を受講した後、5つある団体の中から、やまたちばなに声をかけてもらったのは、運命だったのかもしれません。
時間はかかってしまいましたが、他の観光地よりも「古城公園の語り部」となれたのは、誇りに思いたいです。




しかし、こうやってガイド活動を重ねていくと、高岡古城公園の観光地としての「課題」も、色々見えてきているところです。
今回は、その「課題」について書きたいと思います。









 本丸~二の丸(市民会館)間の土橋に残る石垣。
 築城時の貴重な遺構とされている。








今回紹介する「課題」は、あくまで個人の一意見です。
また、統計等のエビデンスはなく、直感的な話になりますので、予めご理解ください。




さて、本題に入りますが、私が感じる「高岡古城公園の観光地としての課題」は、大きく次の2点です。



①そもそも市民が「高岡城跡」の良さをあまり認識していない

②観光地として「稼ぐ」力がない



他にも細かい課題はたくさんありますが、観光地として成長するために必要な重要課題は、この2点に絞られてくるのかなと思います。








①そもそも市民が「高岡城跡」の良さをあまり認識していない



 高岡古城公園(国指定史跡・高岡城跡)の案内図。
 この曲輪・堀・土橋等の形状は、築城時から残り続けている。





そもそも、地元市民にとって「高岡古城公園」とはどのような認識でしょうか。
これも特にアンケート等の調査ではなく、あくまで私がこれまで感じてきた印象ですが、
おそらく「緑あふれる広い公園」というような認識が強いように思えます。
(私自身も、中学生頃まではそのような認識で、あまり気にも留めない存在でした)

確かに、明治に入ってから城跡保存のために「公園」として指定され、
裁判所、図書館、美術館などの公共施設、野球場、相撲場などのスポーツ施設が園内に設置。
現在でも、市民会館(休館中)、博物館、体育館、動物園が園内にあります。
また、里山のような植物も多く、桜や紅葉の名所でもあることから、「自然公園」「市民憩いの場」としての役割を、長年果たしてきたと思います。



しかし、高岡古城公園は、かつてはれっきとした「城」だったことを忘れてはいけません。

もちろん、「城跡」ということくらいは誰もが知っていることだと思いますが、
正直「城なんてないのに・・・」という言葉は今まで多くの方から耳にしました。
天守その他の建造物が、一切残っていないからです。
「城=天守」というイメージが強いのがとても大きく、それが残っていない高岡城は地元からも「城もどき」のようなイメージになっているのだと思います。

でも、高岡城跡の大きな魅力。
それは、「曲輪、堀、土橋、土塁」といったいわゆる「縄張り」の部分が、築城時からほとんどそのままの形で残り続けていることです。
これはとても重要なことで、全国でもあまり例のない誇るべき話なのですが、地元市民もあまり知らないのではないでしょうか。
(天守が残っている有名な城でも、縄張りを見たら本丸など一部分以外は宅地化・農地化されてしまっている、という例は多いでしょう)
実際、私もこの辺をちゃんと知ったのは、「やまたちばな」に入ってからです。

そもそも、「城」は「お殿様の居住地」でもありますが、「防御施設」であることが何より重要。
そして、その防御力が試されるのは、天守などの建造物よりも、曲輪や堀などの縄張りです。
つまり、「城=天守」ではなく、「城=縄張り」と言っても過言ではないです。
したがって、それがしっかり残る高岡城は、全国でも大変貴重な城跡だと思います。

そんな高岡城跡は、「国指定史跡」になっている他、富山県で唯一「日本100名城」の指定も受けています。
「城跡」としての価値が、大きく認められている証拠だと思います。
ちなみに「日本100名城」はスタンプラリーが行われているため、スタンプ目的で来城される方も非常に多いです。



このように全国に誇れる城跡であることは間違いないのですが、まず地元市民にも知られていない。
高岡城跡だけでなく、「地元のよさ」をあまり語れない人も多いのではないでしょうか。
口を開けば、「なーんもない町」という言葉もよく聞きますよね・・・。
まず地元に理解されていない魅力を、観光客に伝えるのはなかなか難しいと思います。






~解決策を考えてみる~

今後、「高岡古城公園の語り部」として、観光客はもちろんのことですが、市民にも魅力を伝えていけたらと思っております。
もちろん年齢層等は関係なくと行きたいところですが、特に「小中高生とその親」が重要かなと。なんとなくです。

我々世代は「総合的な学習の時間」などで地域のことを学ぶ機会はありましたし、2学年下の世代からは「ものづくり・デザイン科」が導入されました。
しかし、この高岡城跡の魅力もそうですし、高岡の魅力を知る機会がまだまだ少ないのではないかなと思います。

まあ、それでも、10代の頃は特に「こんなまち」と思うのは仕方ないのかもしれません。
でも、「親や教員も含めて周りの大人が誇りを持っていないから」ととらえることもできるような気がします。
正直どちらなのかはわかりませんが、もし後者だとしたら、やはり何らかの取り組みが必要だと思います。









②観光地として「稼ぐ」力がない



 池の端堀(西外堀)沿いの桜。
 本丸西側(桜のあるところ)は約20mの崖地となっている上、その先(写真左側)は沼地が広がっていたため、堀は池の端堀のひとつしかない。





「観光」ということについて、私もかつて大きな見識誤りをしておりました。
「観光客がたくさん来ることに価値がある」と思っていたのです。

しかし、重要なのは「観光客受け入れによって、地域経済に利をもたらすこと」だと学びました。

観光でもイベントでも、「来場人数」が重視されがちですが、本当に重要なのは「まちにどれだけの稼ぎがあったか」。
この目線で高岡古城公園を考えていくと、大きな課題が見えてきます。




観光ボランティアガイドとして一番対応している、大手旅行会社のツアーバスを想定します。
1時間程度のガイドが多いです。最近では1時間を切るようなガイドも増えています。
また、日本100名城や「続・日本100名城(県内では富山城と増山城が指定)」に指定された「北陸名城ツアー」が大半です。

まず、長年「公園」としての歴史を歩んできたので、入園料はかかりません。
中の施設も公共施設がほとんどなので、入館料がかかるところはありません。
(もっとも、1時間程度のガイドだと、100名城スタンプのある博物館以外の施設に立ち寄る時間もありません)

同様に、駐車場はバスも含めて無料です。

お土産物の買えるスペースは、三の丸茶屋内の売店にありますが、全体で1時間程度だと立ち寄る時間がありません。
また、同じく三の丸にイタリアンレストラン「古城亭」がありますが、食事する時間なんてもっと取れません。

名城ツアーなので、前後はほとんど富山城・七尾城・金沢城のどれかです(増山城という話はあまり聞いたことがない・・・)。
つまり、行程上高岡市内で立ち寄る場所は、高岡城のみです。富山県内唯一の場合もあります。

そういったツアーの行程を見ていると、宿泊地はだいたい金沢市。
宿泊地や食事場所が高岡市内という話はあまり聞いたことがありません。

なお、我々ガイドには、交通費として1人1,000円をいただいております。
また、お土産代わりに会で制作したガイドブックを販売しておりますが、時間次第では売ることもできません。




いかがでしょうか。
この一通りの流れで、高岡市にいくらお金が落ちるでしょうか。
確実にあるのは、最後に書いたガイド交通費くらい。
可能性があるのは、同じくガイドブックの売上。あとはたまに小竹藪駐車場や三の丸にある自動販売機で飲み物が売れるくらいでしょうか。
観光客1人あたりで計算したら、最悪の場合50円程度しか落ちないことになります。
(ガイド1人に対し観光客20人で計算)

ツアーバスも、もう少し高岡市や富山県に特化した行程のものになれば、まだ高岡市での宿泊・飲食の可能性が出てくるかもしれません。
また、個人客なら、その可能性は更に増えると思います。
しかし、我々が対応するほとんどは前述の名城ツアーですし(もっとも、個人客はガイドを頼まない、というのもあると思います)、そうでなくても「高岡古城公園」としてお金の落ちる仕組みがほとんどないのが現状です。

高岡市の統計によると、高岡市の観光客入込数は年間3,793,961人(2018年)。
内訳を見ると、高岡古城公園は市内トップの895,500人です(高岡大仏92,000人、瑞龍寺168,773人)。
また、やまたちばなとしては、年間約2,000~3,000人の観光客を古城公園で対応しております。
しかし、これだけ観光客が来ていても、地域経済へのプラスがほとんどないのです。




~解決策を考えてみる~

①入園料(入城料)をとる
②駐車料金をとる
③高岡城に特化した資料館を作り、入館料をとる
④園内の土産物屋や飲食店をもっと充実させる

・・・単純に考えれば、このあたりが思いつきますが、どれも簡単には行かない思われます。
①②は、長年「公園」として親しまれているため、料金をとると提案したらどうなるか容易に想像がつきます・・・。
(①の場合なら「有料エリアを設ける」、②の場合なら「大型バスのみ有料にする」といった方法も考えられますが)
③はお金がかかる話になりますし、④も含めると史跡・公園内での出店はハードルが高いと思われます。




なので、まだ現実的かなと思われる方法は

⑤周辺での充実した出店
⑥周辺店舗への回遊を促すような観光ルートの企画
⑦ ⑤⑥を踏まえた積極的な営業
⑧本丸広場などでの定期マーケット開催

あたりかなと・・・。

最近は、駐春橋からすぐのところにイタリアンの「コッテロ」がオープン。
小竹藪側の県道44号(旧国道8号)沿いには、小中学校時代の同級生がパン&カフェの「月とカンパニオ」をオープンさせました。
こういったお店が増えていけばいいなと思いますし、あとは池の端側も充実しないかなと・・・。










 本丸広場にある城主・前田利長公像。








長くなりましたが、私が最近感じている「高岡古城公園の観光地としての課題」はこのようなところです。
そもそも新型コロナウイルスの影響で、今後観光産業そのものがどうなっていくかわかりません。
そこが一番怖いですね・・・。

でも、これら課題については、これからしっかりと取り組んでいかなければと思います。
私一人の力ではどうにもならない話もありますが・・・。
まずは自分でできそうなところから考えて、実行していきたいです。



そういえば「ライター」という夢を持っていた

人生で初めて「ブログ」というものを書いたのは、中学時代でした。「ブログ」自体はそれより前から流行っていたかと思います。
しかし、ここ10年くらいは「SNS」の時代になり、ブログ文化も昔と比べたら薄くなった気がします。
最初はSNSはやらないと思っていた自分も、今ではすっかりSNS中心の生活です。

ただ、ブログを中心にやっていた頃と比べて、文章を書かなくなったし、読まなくなってしまったというのも、ここ数年感じてきたところです。
学生時代は時々アホみたいな文章量を書く人間でしたが(笑)、今ではそこまで書けなくなってしまいました。




また、最近「時代が変わったな」と思うのは、「YouTube」ですね。
一昔前のYouTubeと言えば、単に動画を楽しむサイトだと思っていたのですが、最近は「YouTuber」なる職業が現れるなど、動画サイトの枠を超えて「自己表現の場」になりつつあります。
本当にこれはすごいことだなと。YouTubeを見ていると、色んなことをやっている人がいて、面白いなぁと思います。
自分もYouTubeやってみようかなと思ったりもしますが、これと言った芸もないですからね。



高校生の頃、「ネットの時代なんだから、地方にいながらでも夢を叶えることができる」と根拠もなく言っていたような気がします。
ネットがあるのだから、昔と比べて情報の地方格差はないはずだし、ビジネスも文化もわざわざ東京などの大都市を拠点にする必要なんてないと、なんとなく思っていました。

その後、SNSやYouTuberの時代になり、それが更に現実味を帯びてきているなと思いますし、
ここに来て急に言われ始めた「オンライン」文化は、地方の時代に繋げていけるのではないかなと。

そんなことを、最近思ったり思わなかったりです。




色んな事情があり、2018年秋頃から当ブログもいったん休止状態に。
正直もうやめようかなと思った時もありましたが、先月20日から急に復活し、それから気がつけば15日連続投稿です。
改めて、自己表現の場として継続するべきだろうなと思ったのが、理由のひとつでした。

最近ふと思い出したのですが、小学の頃、将来の夢に「ライター」「エッセイスト」と掲げていたことが一時期ありました。
これは競馬ライターの須田鷹雄さんに憧れていたことや、父が「優駿エッセイ賞」の受賞歴があることなどがありました。

元々「将来の夢」というもの自体、強く思っていたものはそんなになかったのですが、今思えば中学以降も、競馬ライターや競馬評論家になりたい人生だったなと・・・。

その後、大学時代になって「競馬関係を職業にするのは自分には難しい」と感じたため、競馬はあくまで趣味にしようと思うようになりましたが、
競馬でなくてもいずれは自著を出してみたいという思いは未だにあります(笑)
(祖父や父も自著を出している影響が大きいです)




しかし、「ライター」という職業も、ネット時代の今、「入口」だけなら昔と比べてかなり広くなったのではないかと、最近思い始めました。
ブログを書いて「ライター」ごっこをしてみるのも、ある意味入口かもしれないなと感じています。

本当にどこかの依頼で文章を書いたり、自著を出したりするレベルに今後なれるかどうかはわかりませんが、再度ブログで「ライター」の夢に挑戦してみようかなと思います(笑)