忍者ブログ

高岡ふるさと応援隊会員No.0001のブログ

高岡市の情報をゆるーく発信。

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

北陸新幹線開業から5年(と2ヶ月くらい)





2015年3月14日(土)、北陸新幹線開業日の新高岡駅。







北陸新幹線長野~金沢間の開業から、早5年が経ちました。
3月には県内各駅にて記念イベントも開催される予定でしたが、新型コロナウイルスの影響で中止に。
また、都道府県をまたぐ移動の自粛要請もあることから、現在は壊滅的状態だと思います・・・。



1960年代、「北回り新幹線」と呼ばれていた頃からあった北陸新幹線構想。
北陸の人にとって長年の夢でありましたが、なかなか実現に至らず。
祖父も'70年代・'80年代に、著書で北陸新幹線開業後の高岡について記しており、
私も幼少に父と北陸新幹線の話をして楽しみにしておりましたが、とうとう祖父も父も新幹線開業を見ることはできませんでした。

先日の「10年間の反省」でも書いた通り、新幹線や道路などのインフラ整備に興味のあった私。
昔からとにかく地図を見るのが好き、っていうのが大きいと思います。
幼少期に北陸新幹線のことを父から聞いた後、中学3年の選択社会科で「飛越能」など新幹線開業後のまちづくりについて学んだことから、特に高校以降は「北陸新幹線」が大きな興味分野となりました。
インターネットで、北陸新幹線のページを見たり、高岡市のホームページでも新高岡駅周辺まちづくりのページをよく見ていました。

この頃は「北陸新幹線長野~金沢駅間、2014年度末開業」と言われていたと思いますから、
約5年後に迎える夢のような出来事を、心待ちにしていました。



一方、「新幹線が来ただけで、まちが活性化するわけではない」というのも、当時から頭に入れていました。
ケーブルテレビで放送された、地域エコノミスト・藻谷浩介先生の講演で、学んだことでした。

この時の高岡は既に「地域衰退」の波に飲まれている状態。
新幹線構想が浮上した高度経済成長期とは違い、人口も減り、地域経済も落ち込んでいる頃。
この衰退は、簡単に戻るものではないだろうなと、高校生の私でもなんとなく感じとっていました。
藻谷先生のおっしゃるように、「新幹線が来ただけではダメ。まちが変わるかどうかは、地元の人の努力次第」。
これを肝に銘じていたつもりでした。



・・・所詮、「つもり」に過ぎませんでした。
言葉では分かっていても、その「地元の人の努力」とは一体何なのか、具体的に何をすればいいのか、全く分かっていなかったのです。



何もできないまま迎えた2015年3月14日(土)。
あの時は、「とうとうこの時が来たか」と、胸を高まらせていたと思います。




しかし、その後の高岡は、あまりいいニュースはありません。
観光客は増えてきたものの、地域活性化には何も繋がらず、ついには行政も財政難に。
あと、正直因果関係はないと思っていますが、高岡大和の閉店というニュースもありました。

「北陸新幹線の恩恵を一番受けていない残念な町は、高岡だ」という報道もあったような気がします。
うろ覚えです。
あまり中身を読みたくもなかったので・・・。

結果、私が思い描いていた新幹線開業後の夢も、
もっと言えば祖父や父が思い描いていた新幹線開業後の夢も、夢に過ぎなかったのかなと。
そう思うと、なんだか虚しいですね。

そして何よりも、「新幹線が来ただけでは・・・」と早くから学んでいたのに、何もできなかったことを非常に悔いています。






さて、新幹線開業後の高岡でよく聞いたのは、この2つかなと思っています。



① なんかポジティブな話:新高岡駅に「かがやき」停車を!
② なんかネガティブな話:現駅併設にしなかったから・・・



これらについて、正直な感想。
大変申し訳ないですが、どっちも、どうでもいいと思っています。
なんというか、今言うべきことじゃないよなぁと、常々感じてきました。



まず、ポジティブ運動の方。
開業を目前に控えた2014年、速達型列車「かがやき」が、新高岡駅に一切停車しないと発表。
その後臨時列車の停車が発表され、1日1往復の停車で開業を迎えました。

こうして、通常列車の停車駅発表の頃から、高岡で「かがやき停車運動」が起こるようになりました。
在来線時代は特急がほぼ全て停車していた高岡。そのプライドもあったのでしょうか。
主に行政を中心として、新高岡駅の利用、特に「かがやき」の乗車を呼びかける運動が続きました。
しかし、その願いも虚しく、現在は1週間に1往復となりました。

新高岡駅の利用自体は、私も推進したいと思っておりますし、北陸新幹線利用時は可能な限り「かがやき」に乗車しています。
でも、ただ闇雲に「かがやきを停車しよう!」と運動することが、果たして高岡のためになるのか、正直疑問に思うのです。

確かに「かがやき」は停車駅も少なく、とても速く感じます。
しかし、「はくたか」も十分速いです。乗り換えなしなのは、変わりありません。
私が学生の頃は新幹線開業前。越後湯沢での乗り換えが必ず発生したあの頃を考えたら、かなり便利になったと思います。
「かがやき」に越したことはないけど、「はくたか」でもいいじゃないかと感じます。

それに、やっぱり世の中の経済活動は「需要と供給」が基本。
まちづくりも、これを無視してはいけないです。新幹線利用も一緒です。
新高岡駅の利用を促進したいのであれば、新高岡駅の需要を生み出す必要がある。
そのために「乗ろう運動」を行うことも大事かもしれませんが、それだけで成し遂げられるものではないと思います。
実際に、運動は実っていないのですから・・・。
実らなかったのは、運動が足りなかったからではなく、やり方が間違っているからでしょう。

新高岡駅の需要を生み出すためには、まず高岡(+飛越能)に、新幹線での来訪需要を作らなければいけない。
つまり、「来てもらえるまち」にしなければならないと思っています。
それなしに「来てくれ」とだけ言っているのは、順番が違うような気がするのです。

そもそも、一番大事なのは、新幹線利用によって高岡に経済効果を生み出すこと。
「かがやき」を停車させることは、その手段のほんの一部に過ぎませんし、やり方を間違えれば手段にすらならない可能性もあります。

まとまらない文章になりましたが・・・。
以上のことから、5年以上続く「かがやき停車運動」に、ずっと違和感を覚えてきたのでした。






続いて、ネガティブな方。
正直これは、新高岡駅に割と近いところに住んでいることもあるので、贔屓目はあるかもしれません。
そのことは予めご理解ください・・・。

そういう贔屓目もあるのかないのか、新高岡駅が、在来線高岡駅と分離したことについて、
特に否定的な考えはないまま生きてきました。
否定的な意見が一定程度あることを知ったのは、開業後のことだったのです。
今もなお、「分離駅にするべきではなかった」という意見を聞きますし、「駅を分けたから、高岡はダメになったんだ」という話を耳にしたこともありました。

これについて、率直な感想を申し上げれば、「今更そんなことを言っても仕方ないだろう」というところ。
30~40年前に「現駅併設運動」を行った人もいましたが、それでも叶わなかったのだから。
なってしまったものは、もうどうしようもないです。

また、それで高岡がダメになったという話については、たぶん関係ないと思う・・・。
特に中心市街地の話だと思いますが、確かに新幹線が来ていたら少しは違っていたかもしれません。
でも、前述の通り、新幹線が来たからと言って簡単に変わるわけでもない。
まず、衰退を誰かのせいにしている時点で、きっと何をしても衰退してしまうのだと思います。

それに、確かに分離駅にはなりましたが、大して距離は離れていないと思うのです。
日本国内、新大阪駅や新横浜駅をはじめ、多くの分離駅が存在。北陸新幹線でも、上越妙高駅や黒部宇奈月温泉駅が分離駅です。
分離駅の中では、東海道新幹線の新富士駅に次ぐ在来線駅との近さと聞きました。
聞いた話でちゃんと調べてないので、違っていたら申し訳ないですが・・・。
いずれにせよ、高岡駅・新高岡駅よりも離れているところは、たくさんあると思います。
なぜ高岡は分離駅にこんな否定的になっているのか、正直よく分からないのです。

もっとも、両駅間の接続や、心理的距離に課題があるなぁとは、この5年間思い続けております。





先程少し書きましたが、一番大事なのは、「新幹線利用によって高岡に経済効果を生み出すこと」。
それは、かがやき停車運動をしても、分離駅になったことを今更否定しても、成し遂げられないと思います。

なので、新幹線開業後に出たこれらの話は、違和感しかありませんでした。











北陸新幹線新高岡駅と国宝瑞龍寺を結ぶ「瑞龍寺道」。
新幹線開業に向けて整備された参道。





新幹線開業から早5年。これからどうしていけばいいかの話ですが・・・。
もう5年も経ちますので、新幹線は関係なく地域活性化に取り組まなければいけないなと思います。
それに、新型コロナウイルスの影響で利用も低迷しているので、いったん新幹線のことは忘れるくらいの気持ちで。

ただ、先述の「高岡駅~新高岡駅間の接続と心理的距離」については、解決しなきゃいけないなと思います。
今回もアイディアを色々考えてみました。




①城端線の本数増(無理かな・・・)
②氷見線・城端線の直通化、もしくは万葉線の新高岡駅延伸(これも夢か・・・)
③路線バスの維持と周知
④駅南大通りの無電柱化と歩道整備
⑤瑞龍寺道の周知と店舗誘致
⑥新高岡駅を発着とした市内観光、飛越能観光の企画と発信




正直、夢のまた夢のような話が多いですが・・・。
氷見線・城端線のLRT化が最近話題となっているので、①②あたりもいずれ実現化するかもしれません。

城端線の本数が増えれば理想的ですが、路線バスのアクセスはかなりいいと思います。
10分に1本、両駅間の所要時間8分なので、利用しやすいでしょう。
ただ、周知が足りないのか、高岡はマイカー文化で路線バスは馴染みがないのか・・・。
もっと周知が必要かなと思います。

④は、夢のまた夢・・・。
今は高岡駅から八丁道あたりまでは整備されていると思いますが、ああいう無電柱化で広々とした歩道は、歩きやすいです。
新高岡駅まで、安心して歩けるような歩行空間があれば、理想です。

歩行空間と言えば、⑤の瑞龍寺道。
庄方用水沿いなど、新高岡駅から国宝瑞龍寺を結ぶ参道として整備された道ですが・・・。
とてもいい歩行空間なのに、いつ見ても人が歩いていない。
こちらももうちょっと周知する必要がありますし、沿道に空き家を活かした店舗などの誘致もあればいいなと思います。

いずれにせよ、駅南や京田など高岡駅~新高岡駅のエリアを魅力的にするのも大事だなと思います。




長くなりましたが、新幹線開業から5年で、高岡は大きく変わることができませんでした。
もちろん私一人の力でどうにかなる話ではありませんが、この10年動かなかったことは本当に反省です。
高岡が変わるかどうかは、新幹線が来るかどうかではなく、市民が活性化に向けてどう行動したかだと思うので、これまで動けなかった分頑張りたいです。


PR