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第39回 全国城下町シンポジウム高岡大会(10/10・11)その①

早1ヶ月前の話になってしまいましたが・・・。

10月10日(土)・11日(日)の2日間、「第39回 全国城下町シンポジウム高岡大会」が開催されました。

本来であれば、5月末に、高岡古城公園周辺で盛大なイベントも兼ねての開催となる予定でしたが・・・。
せっかく高岡での17年ぶり2度目の開催となったタイミングで、新型コロナウイルス。

しかし、10月に延期した上で、YouTube配信を中心としたハイブリッド型での開催が実現いたしました。



大変遅くなってしまいましたが、当ブログでも、振り返りを行いたいと思います。






※サムネイル等を楽しんでいただく趣旨で動画を貼りつけておりますが、こちらでは再生できない設定になっているため、YouTubeページにてご覧ください。
(サムネイル下にリンクを貼っておきます)








10月10日(土)大会式典



動画:https://www.youtube.com/embed/1Ab6-OyXHg4

~司会~
川村ゆかりさん(フリーアナウンサー)

~プログラム~
・オープニング映像
・開会・国歌斉唱・セレモニー
・会長式辞(全国城下町青年会議所連絡協議会会長)
・主管青年会議所理事長挨拶(高岡青年会議所)
・祝辞(富山県知事、高岡市長、加賀前田家18代当主、日本JC北陸信越地区富山ブロック協議会会長)
・副主管青年会議所紹介(富山青年会議所)
・ファンクション紹介
・アワード発表
・第41回大会(2022年)主管青年会議所紹介(福山青年会議所)
・大会盾伝達式
・第40回大会(2021年)PR(津山青年会議所)
・閉会

終了後、ウェルカムレセプション開催






今年は総務委員会所属で、式典担当グループだったのですが、仕事の関係で出席できず・・・。

例年だと、金曜~日曜の3日間開催で、初日(金曜)に「開会式」、最終日(日曜)に「閉会式」という形になるのですが、今年は新型コロナウイルスもあるので、初日(土曜)の「大会式典」に一本化。

したがって、例年は閉会式に行われる「アワード」や「大会盾伝達式」も、この大会式典にて行われました。



式典では、翌日行われるフォーラムや分科会などのファンクション紹介も行われました。

また、来年と再来年の大会PRも行われました。
来年2021年は記念すべき第40回大会で、開催地は岡山県津山市
そして、再来年2022年第41回大会は、広島県福山市での開催が決まっております。
(動画内で、津山大会、福山大会の素晴らしいPR動画が流れます!)
来年・再来年も楽しみにしたいところです。







10月11日(日)

開会



動画:https://youtu.be/LeHJ-uFZl5Y?t=428

迎えた11日(日)。
当日は射水神社に設けられた「メインスタジオ」を中心に、LIVE配信。
ニュース番組のスタジオをイメージした感じですね。

メインスタジオでは、全国城下町シンポジウム高岡大会・米田実行委員長と、前日の式典に引き続き川村ゆかりさん(フリーアナウンサー)が進行役全国城下町青年会議所連絡協議会・朝倉会長と、(公社)高岡青年会議所・花田理事長がコメンテーター役を務め、
途中様々なゲストもお招きするような形でした。



そして、個人的には衝撃だった9時のオープニング。
雅楽の演奏からのスタートでしたが、竜笛と笙は射水神社の神主さん、篳篥は(公社)高岡青年会議所メンバーが務め・・・。
いや、とにかく篳篥吹けることに衝撃を受けたのでした(笑)

その衝撃のオープニングの後、メインスタジオでの進行が始まりました。








記念フォーラム



動画:https://youtu.be/LeHJ-uFZl5Y?t=2232

記念フォーラム「高岡古城公園を愛するべき地にする」

講師:中井 均 氏(滋賀県立大学教授 専門:考古学 中・近世城館遺跡 近世大名墓)





9時30分から、記念フォーラムが行われました。
講師は考古学者で、城の専門家でもある中井均先生(滋賀県立大学教授)
専門家の観点から、高岡城の歴史や今後の活用について、語っていただきました。
(事前収録し、テロップ等の編集をしたものを当日放送)

個人的に印象に残った部分を抜粋させていただきますと・・・。





○城は「建築」ではなく「土木」
「建築」(作事)→天守や御殿などの建造物
「土木」(普請)→堀、曲輪、土塁、石垣
天守が残存している城(12城)は、たまたま残っただけで、江戸時代の城がそのままの姿で残っているのは、ひとつもない。
そんな中、本物の普請がほぼ完全に残っているのは、高岡城しかない。

一国一城令後の武家諸法度では、城の修理は「作事」「普請」両方申請が必要だったが、その後「作事」のみそのままの形であれば申請不要となった。
幕府は「作事」よりも「普請」を重視していた。






○高岡は「城跡」ではなく「古城」として残った
「城跡」と「古城」の違い→「城下町」が残ったかどうか
一国一城令で廃城となった城の多くは、城下町もなくなっている。
高岡は利常の尽力によって、商人町として再生した歴史がある。

高岡城跡の歴史は、「高岡城」の時代、「高岡古城」の時代、「高岡古城跡」の時代に分けられる
・高岡城→約6年(築城から一国一城令まで)
・高岡古城→約260年(一国一城令から江戸時代中)
・高岡古城跡→約150年(明治以降)



○城跡の保存・活用について
城跡保存は「江戸時代の姿」が重視されているが、明治維新から既に150年。
「古城跡(公園)」の時代も、城跡の立派な歴史と考える。
城跡が市民の憩いの場であることは、非常に大事。
明治の造園家本多静六(様々な城跡を公園にした)「城跡に動物園良し」という言葉を残している。
しかし、姫路城も動物園移転決定、高岡城も園内施設(体育館、市民会館、動物園)の移転が検討?
城跡の活用については、市民の意見も重視して欲しい。



○市民には、高岡城を誇りに思って欲しい

○役に立たないことを考えるのが人間





とても勉強になりました。
11月に入って、久々にガイド活動も出てきましたが、今回の中井先生の講演内容も参考に解説しております。
高岡城は素晴らしい城跡であること、しっかりと伝えていきたいと思います。





シンポジウム2日目は、この後「分科会」、「メインフォーラム」と続きますが、
それらについては「その②」で更新したいと思います。
今回はこの辺で。






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