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高岡ふるさと応援隊会員No.0001のブログ

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奇跡・・・(前身ブログより)

自動車学校の書類を提出する・・・それだけのためにわざわざ学校へ行ったわけですが、そういえば途中までしか読んでいない本があるなと思い、久々に図書室を訪れました。

その本というのは高岡の歴史について簡単に記してあるもので、非常に読みやすくて昨年12月から読み続けていました。
最近図書室を訪れる機会がなかったため途中で止まってしまったんですが・・・。

しかし今回で全て読み終えました。結構残っているかなと思っていたのですが、30分程度の時間で読み終えることができるとは・・・。





まあ読み終えたと言ってもいかんせん読み始めたのは約2ヶ月前なので、最初の方はほとんど記憶にないのですが、あれを読むのと読まないのでは高岡に対する見方もやはり違ってきたりするんですよ。
今ではちょっぴり高岡について詳しくなった気分です。馬鹿みたいですが。



で、その歴史本の感想なのですが・・・
地方衰退の波に巻き込まれているとはいえ、歴史的にはまだ恵まれていた方なんだなとつくづく思いました。
まず沼地だったような場所に城や町をつくり、思いを託したというお殿様がいた時点で奇跡なんですが、その後の400年間にも、数々の奇跡が起こったみたいです。







高岡の奇跡 ~江戸時代編~

築城から数年後に前田利長公が亡くなり、更に一国一城令によって廃城となってしまったことは知っている人も少なくはないと思います。もちろんこれは不運中の不運で、当然ながら高岡は衰退の道へと突き進むことになったのですが、まさかそんな町を保護しようと奮闘するお殿様(利常公)が現れるとは・・・。
一国一城令によって沈没した町も少なくない中、利常公の手厚い保護により「町人の町」として蘇るなんて・・・珍しいかどうかは知りませんけどそれ程多くもないでしょう。
税を免除してもらえるとか今では考えられません。



高岡の奇跡 ~明治時代編~

ここでも書いたことがあると思いますが、1889年に「市制」が施行されて、同年4月に日本初の市が31誕生したのですが、高岡もそのうちのひとつなんですよ。
しかし、当時の高岡の人口は2万人程度で、31市の中では一番少なかったみたいです。ってか今でもその31市の中では二番目に少ないのですから・・・。
ちなみに現在一番少ないのは米沢市で、二番目が高岡で三番目が弘前なんですが、米沢にしろ弘前にしろ立派な歴史都市ですよ。
人口も少なければ特に歴史があるわけでもない・・・にも拘わらず日本初の市に選ばれてしまったということは、当時の経済力がどれだけすごかったか、ということですよ。
廃藩置県後、高岡は様々な県を渡っていった後に富山県となったわけですが、町人のまちとして栄えていたもんだからよく分からないけどなんか一気に高岡に集まっちゃったみたいです。
当時は高岡銅器も世界で評価を受けていたらしいですしね・・・。



高岡の奇跡 ~戦後編~

第二次世界大戦で多くの都市が焼け野原となって復旧・復興に時間がかかった中、空襲を受けなかった高岡は無傷の鋳物工場によって嘘のような早さで活力を取り戻していった・・・。
やはり終戦直後は鋳物の需要がとんでもなかったようです。



高岡の奇跡 ~高度経済成長期編~

アルミ需要でどか~ん!!!
現代的な繁華街が出来上がったのも、何故か北陸では一番か二番くらいの早さだったらしい・・・。今は廃れているけど地下街もできましたし(もちろん当時は中心市街地も地下街も盛況!)。







まあ、実際にはここで書いたほど極端ではなかったと思いますし、こんなパターンは日本全国探せばいくらでもあると思いますが、とにかく高岡は古くから北陸の中でも影響力のあった方の都市だと思うんです。今はどうだか分かりませんが。

結局何が言いたいのかというと、その本にも書いてありましたが、もう少し自分の街に誇りを持てということです。
自分の街に誇りを持つことが、スタートである・・・。



あゝ、夜の自動車学校まで寝ようと思っていたのに、寝る時間がなくなっちまった・・・。

それではまた・・・。

(前身ブログより 2010年2月8日更新)

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