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高岡ふるさと応援隊会員No.0001のブログ

高岡市の情報をゆるーく発信。

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10年間の反省 その②

2010年、高校卒業を迎え、東京都内(ただし1年次のみ神奈川県内のキャンパスに通学)の私立大学に進学。
同時に、高岡市出身の大学生が集まる学生寮「高岡市荻布学生寮」(現・高岡市学生寮)に入寮しました。
ここで2014年3月までの4年間を過ごします。

宿探しが面倒だったのもあり、こんな寮があるならそこに入ってしまおうと、高校3年の秋頃には心を決めておりました。
それに、東京へ行っても故郷を忘れられない寮生活というのには、とても魅力を感じました。

しかし当時の荻布寮は、築50年近くが経過する、若者にとっては残念に感じる建物だったかもしれません。
(2018年に建て替えしたので、現在はとても綺麗です)
でもそんなことは全く気にしませんでした(笑)

荻布寮で過ごした4年間はとても楽しかったし、今でも付き合いのある友人は荻布寮の仲間が多いです。
また、人間として成長するきっかけが、荻布寮だったなと思います。
荻布寮に入っていなかったら、今の自分はないと言っても過言ではありません。



一方、せっかく東京で4年間を過ごしたのに、大学に行ったら全く殻を破れず。
結局、荻布寮以外の人間関係はほとんど構築できませんでした。
陰キャラの影響はこういうところにも出てくるものです。



また、荻布寮の活動も、いざとなったら自信のない部分、行動できない部分、そして何よりも人を巻き込めない部分が大きく出てしまいました。
特に「人を巻き込む」ということに関しては、今でも苦手です。今後絶対に克服しなければいけないと思っております。

例えば1年生の時の寮祭出し物は、自分が言い出しっぺの企画だったのに、企画力もない、自分の考えを人に伝えられない、ろくな打ち合わせもできない、最終的にグダグダになるという最悪なパターンでした。
そして、3年生の時には寮生運営のトップである委員長になりましたが、リーダーとしての資質は全くありません。
やはり自分の思いを周りに伝えられない。結果、誰かに丸投げするか、自分勝手にやるかのどちらかでした。
特に寮祭は「高岡のPR」と「来場される方へのおもてなし」をモットーに、今までのスタイルを壊してまで奮闘し、大がかりな企画も用意して盛り上がりましたが、結局は独りよがりな企画でした(それでも盛り上がったのは、周りの皆様のおかげです)。
当時は「こんな自分でもここまでできた!」と自画自賛しておりましたが、今思えば最悪です。



でも、いい経験も悪い経験も、自分にとっては大きな財産。
人生で初めて大きな財産をくれたのは、荻布寮でした。
ただ、自分にもっと能力(その他諸々)があれば、もっとなんとかできたなという思いが一番強いのも、荻布寮です。
その辺を語り出すと長くなるので、やめておきます。
いくら嘆いても荻布寮生には戻れませんので(笑)





もちろん、この4年間は高岡を離れていたので、高岡で何か活動をしていたわけではありません。
ただ、高岡の情報はネット等で逐一チェックし、帰省もなるべく長くとっておりました。
帰省した際には色んな行事に参加してみたり。
2011年8月には高岡駅の南北自由通路「万葉ロード」が供用開始されましたが、そのセレモニーにも足を運んでおりました。

そして、大学3年の夏を迎えた2012年7月。
私の代名詞(笑)ともなる「高岡ふるさと応援隊」に応募し、会員No.0001になりました。
前身ブログは2011年を最後に更新をしなくなりましたが、高岡ふるさと応援隊をきっかけに、2012年11月から当ブログを開始。
2013年2月にはTwitterアカウントも取得しました(その後1年近くはTwitterが中心となってしまったため、ブログが疎かになりました・・・)。

その後、大学4年を迎えた2013年、このブログをきっかけに(公社)高岡青年会議所の方からお声がけいただき、北陸新幹線開業後の並行在来線問題等を考える「魅力ある高岡フォーラム」というまちづくり事業でパネリスト登壇。
この縁で、大卒Uターン後の2015年、賛助会員として(公社)高岡青年会議所に入会いたしました。




こうして東京にいながら、地元高岡で色んなご縁ができたのも、この頃です。
小さいことでも、思いを持って行動すると、大きな力になるなと思いました。

しかし、この頃「高岡のまちづくりをする学生団体を作りたい」などと言っていたような気がしますが、前述のような人間であるため当然そのようなことは成し遂げられず。
富大芸文生や法科大生との繋がりが欲しかったですね・・・。





さて、いよいよ大卒を迎えるわけですが、諸事情により就活を全くせず。
また、大学3年以降、中途半端に行動的になっていたこともあり、「大学再受験」などというぶっ飛んだことを考え出します。
まちづくり関係の大学で、学び直そうと思い始めたのです。
(このことは、今まであまり人に話していませんでしたが)

結局それも上手くいかず、2014年4月、ニートとなって高岡に帰ってきたのでした。

もう、これについては、「反省」どころの騒ぎではない・・・(笑)


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