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高岡ふるさと応援隊会員No.0001のブログ

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馬の話

10年間の反省にも書いたことですが・・・。
「まちづくり」に携わる時や、自ら「まちづくり」事業をおこす時、自分の得意分野やスキル、趣味などを活かすのが大事と学びました。

しかし、高校生の頃から「まちづくり」そのものを漠然と興味分野としていたので、それ以外の趣味があまりなく、得意分野やスキルもほとんどない状態だということに気がつきました。



そんな私の「まちづくり」以外のほぼ唯一の趣味と言えば・・・「競馬」になります。




競馬に興味を持つようになったのは、2000年の夏。当時8歳の小学3年生。
もうこの夏で20年を迎えます。

一番のきっかけとなるのは、プレステのゲーム「ダービースタリオン'99」でしたが、
元々祖父・父とコアな競馬ファンで、幼稚園時代から既に馴染みはありました。
5歳だった1997年には父と共に小倉競馬場へ足を運んでいます。

「まちづくり」同様に血を引く形になるので、必然と言わんばかりにコアなところまで行ってしまうわけです。
そして、小学時代からの趣味なので、ギャンブルという感覚はあまりなく、一スポーツとしての観戦で今日まで至ります。

ただ、やはり実際はギャンブルなので、周りからの偏見に苦しむ人生でした。
特に高校生の頃までは、周りに競馬ファンもいないため、陰キャラも重なり「まちづくり」同様「人に言えない趣味」になりつつありました。



2010年、大学進学と同時に東京へ。
高岡にいた頃は年に1~2回程度、家族で新潟か京都に行くくらいしかできませんでしたが、
東京に住んでいた4年間はほぼ毎週の頻度で東京競馬場などに通いました。

また、大学では競馬サークルに所属。荻布寮でも競馬仲間ができました。
その後、大学3年生の秋には、学生団体「うまカレ」に所属。
「ギャンブルではない競馬の魅力を伝えたい」と活動するメンバーに、強く刺激を受けました。

一方、小学時代から「競馬評論家」「競馬ライター」への夢を抱いていたのですが、
うまカレメンバーは本当にすごい人が多く(後の競馬記者やJRA職員なども)、「上には上がいる」と実感。
競馬熱は負けていない自信があったのですが、人生で一番「井の中の蛙」という言葉が身に染みて・・・。
競馬熱があっても、彼らと違って人間が出来上がっていない自分には、無理だなと思いました。



大学を卒業して高岡にUターンした後は、本当に一趣味としてテレビ観戦、時々競馬場現地に遠征をしております。
2018年には念願の札幌競馬場へ足を運び、21年の歳月を経てJRA競馬場全10場完全踏破を果たしました。

小倉競馬場:1997年8月10日(小倉記念の日)
京都競馬場:2003年5月17日(京都ジャンプステークスの日)
新潟競馬場:2003年8月23日(新潟ジャンプステークスの日)
中山競馬場:2010年4月17日(中山グランドジャンプの日)
東京競馬場:2010年4月24日(上京後初の東京開催日)
中京競馬場:2012年3月25日(高松宮記念の日)
福島競馬場:2012年4月7日(東日本大震災で丸1年の中止後、再開された日)
阪神競馬場:2013年3月9日(阪神スプリングジャンプの日)
函館競馬場:2013年8月24日(札幌工事のため函館開催、エルムステークスの日)
札幌競馬場:2018年8月19日(札幌記念の日)

(こうやって見ると、ジャンプ重賞の日が多い・・・)


次なる目標は、地方競馬場の完全踏破ですが、これは金沢、大井、川崎、船橋、浦和、名古屋しか制覇しておらず、まだまだ遠い道のりです。





新型コロナウイルスの影響で、2月末以降、JRAも地方競馬も無観客開催。
ウインズなどの場外馬券発売所も閉鎖しており、現在はインターネットや電話投票のみ。

あくまで「観る」方の人間なので、馬券はあまり買わなかったのですが、やはり主催者の収益源は馬券収入。
これを機に、とうとうインターネット投票をするようになりました(笑)
でも、がっつりやり始めると、本当にお金がなくなってしまうので、控えめに・・・。
(馬を見る目がないため、馬券は当たりません)




・・・と、競馬についてこれまでの思いを書きました。
正直な話、ここに来て「競馬ライター」の夢が再燃し始めてもいます(笑)

大学卒業以降、「あくまで趣味」と諦めていましたが、競馬との関わり方も見つめ直してみたいなと思います。

そして、今すぐには難しいですが、いずれ「まちづくり」に活かせないかも、考えてみたいと思います(笑)


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