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高岡ふるさと応援隊会員No.0001のブログ

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鐘紡町の話

私が生まれ育ったのは、高岡市鐘紡町。
その名の通り、かつてカネボウの工場があったことが町名の由来です。
(現在はクラシエ製薬高岡工場となっております)






1937(昭和12)年「日本綿糸ヴルツ㈱高岡工場」(※「日本綿糸ヴッツ」とする資料もあり)として誕生し、その後「カネボウ高岡工場」となりました。
(同じ1937年には、鐘紡町からすぐ南の現・高岡市地方卸売市場に、高岡競馬場が誕生。当時は高岡市ではなく佐野村・二塚村の場所でしたが、いっぺんに開発が進んだのでしょう)

今の鐘紡町と言えば住宅街も多く、国道156号沿いには郊外型の商業施設も並んでいますが、
かつてはそれらもカネボウの工場や社宅の敷地だったようです。めちゃくちゃ広大。

また、城端線から工場への引込線も出ていた模様。
これは、高岡市立博物館の常設展にある昭和28年の地図でも確認できます。
(ちなみに、昭和28年の地図には「競馬場」の記載もありますが、昭和25年に廃止されているはず・・・)
詳しくは、高岡市立博物館まで足を運んでいただけたらと思いますw

その後、住居表示の実施により、1968(昭和43)年に「鐘紡町」の町名となったようです。




・・・そんなわけで、歴史はほとんど昭和以降という町。
なので、正直「歴史自慢」はあまりできない町だと思っていました。




でも、割と最近知った話。
第二次大戦の終戦後、GHQの進駐軍が富山県にもやってきたわけですが、富山県の軍政本部は「電気ビル」。
そして、分宿駐屯した場所は「旧富山連隊跡」と、「高岡鐘ヶ淵紡績工場」だったそうなのです。
(参考文献:『高岡四〇〇年のあゆみ』 編著・神保成伍氏・・・この本は高校3年の時に一読したはずなのに、この話は記憶になかった。。。)

鐘紡町の人でも、あまり知らない話かもしれません。
この話はとても興味深いので、これから「まち自慢」に使いたいと思っています(笑)




こうやって、地元のことを知るのはとても楽しいです。
皆様のまち自慢もお待ちしております!!(笑)


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