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北陸新幹線について考えよう その1 「北陸新幹線概要」(前身ブログより)

さて、今日からこんなコラム(?)を始めてみたいと思います。


 


「黄金の10年」を迎える高岡にとって一番の期待であり一番の課題でもあるのが「北陸新幹線」。長野金沢間の開業予定まであと5年程となりましたが、今一度、新時代を築き上げる新幹線について真剣に考えてみようと思います。


 


このコラムの記念すべき第1回目は、ウィキペディアなどから引っ張り出した北陸新幹線の概要その他をとりあえず書いてみます。


 


 


 


 


・北陸新幹線とは


上信越・北陸地方を経由し東京と大阪を結ぶ整備新幹線(参考)。1997年に開業し営業中である東京~長野間は便宜的に「長野新幹線」と呼ばれている。


 


(参考)整備新幹線


北海道新幹線(新青森~札幌)、東北新幹線(盛岡~新青森)、北陸新幹線(東京~大阪)、九州新幹線鹿児島ルート(博多~鹿児島中央)、九州新幹線長崎ルート(新鳥栖~長崎)の5路線。


 


 


 


・歴史


「北陸新幹線」の構想が出されたのは、東海道新幹線が開業して僅か1年足らずの1965年9月26日のことであった。


この日、石川県体育館(金沢)で「1日内閣」(現役閣僚によるタウンミーティングのようなもの)が開かれたが、そこで富山県代表の公述人である岩川毅氏(中越パルプ工業創業者、当時の砺波商工会議所会頭)が政府に対し「東京を起点とし、松本、富山、金沢を経由して大阪に至る『北陸新幹線』の建設」を求めたことが全ての始まりだった。


 


これをきっかけとして北陸地方では新幹線誘致の機運が高まる。1967年7月に北陸三県商工会議所会頭会議において北陸新幹線の実現を目指すことが決議。同年12月8日に「北回り新幹線建設促進同盟会」発足。


 


こうした中、国も積極的な姿勢を見せ北陸新幹線の実現も近づくこととなった。1970年に全国新幹線鉄道整備法が制定、1972年6月29日、東京~大阪間を高崎・長野・富山・金沢経由で結ぶ「北陸新幹線」として基本計画が決定。これに伴い「北回り新幹線建設促進同盟会」は「北陸新幹線建設促進同盟会」と改称。翌年には整備計画決定及び建設の指示がなされた。


 


基本計画決定までは岩川氏が提案した「松本経由」で、北アルプスをトンネルで貫通させる計画となっていたが、立山トンネルの資金難が予想されたこと等から高崎・長野・上越・糸魚川という北アルプスを迂回するルートで基本計画が決定することになった。まあこれは田中角栄が上越・糸魚川に引っ張り込んだという説もあるみたいだが・・・。


 


ところが、整備計画決定してから計画はなかなか進まなかった。これは国鉄の緊縮財政やオイルショックの影響により建設が凍結されたことが原因で、整備計画決定から10年以上、北陸新幹線など整備新幹線5路線に動きはなかった。


 


ようやく動きが見られたのは1987年。この年整備新幹線建設凍結解除が閣議決定され、再び計画が動き出した。この時は高崎~小松間をフル規格で先行建設するという計画となっていたが、1988年の「運輸省案」では以下のような計画となった。


 


 


「運輸省案」(1988年)


・長野以南の建設を優先


・高崎~軽井沢間のみフル規格


・軽井沢~長野間はミニ新幹線


・糸魚川~魚津間及び高岡~金沢間はスーパー特急方式


 


 


翌1989年に高崎~軽井沢間が着工。その後長野市がオリンピックの開催地に決定したことにより、1991年に軽井沢~長野間もフル規格で着工されることとなった。


こうして1997年10月1日、高崎~長野間が「長野行新幹線(のちに長野新幹線となる)」の名で開業。基本計画決定から25年、ついに整備新幹線初の開業を迎えた。


 


スーパー特急方式での着工が決まった高岡~金沢間は沿線自治体の並行在来線経営分離反対により新高岡~金沢間の基本ルートを変更、着工区間も石動~金沢間に変更となった。この区間のうち、金沢駅部は1996年3月に竣工した。


 


高崎~長野間の開業後の1998年3月には長野~上越間の着工が認可。2000年末の政府・与党申合せでは富山までのフル規格での建設が決まり、翌2001年に上越~富山間も着工した。


 


2005年4月27日に富山~白山市の白山総合車両基地間のフル規格での整備が認可。同年6月4日に起工式が行われた。また、同時に福井駅部の着工も認可。


一時期ミニ新幹線やスーパー特急方式の計画もあったが、結局高崎~金沢間全て当初の計画通りフル規格となった。


 


 


 


・駅


 


色分けの説明


 


東北新幹線・上越新幹線と共用


上越新幹線と共用


開業区間(長野新幹線)


着工区間


未着工区間


 


 


東京都


東京駅(千代田区)


上野駅(台東区)


 


埼玉県


大宮駅(さいたま市)


熊谷駅(熊谷市)


本庄早稲田駅(本庄市)


 


群馬県


高崎駅(高崎市)


安中榛名駅(安中市)


 


長野県


軽井沢駅(軽井沢町)


佐久平駅(佐久市)


上田駅(上田市)


長野駅(長野市)


飯山駅(飯山市)


 


新潟県


上越駅(仮称)(上越市)


糸魚川駅(糸魚川市)


 


富山県


新黒部駅(仮称)(黒部市)


富山駅(富山市)


新高岡駅(仮称)(高岡市)


 


石川県


金沢駅(金沢市)


・小松駅(小松市)


・加賀温泉駅(加賀市)


 


福井県


・芦原温泉駅(あわら市)


福井駅(福井市)(駅部のみ着工)


・南越駅(仮称)(越前市)


・敦賀駅(敦賀市)


 


 


 


・敦賀以西について


敦賀~大阪間のルートについては3つの案が出されているが、どれも重要なメリット・デメリットがあり未だ決定には至っていない。


ここではその3つの案とその長短を簡単に紹介しよう。


 


 


①若狭ルート


敦賀以西の主な経由地:小浜市、亀岡市
大阪への接続:新大阪へ直接接続
メリット:大阪までの所要時間が最も短い、東海地震があった際のバイパス機能として最も適している
デメリット:莫大な費用、京都駅を通らない、山陽新幹線への直通不可、福井県・京都府・大阪府の負担、森喜朗曰く「角さんが筆を舐めて地図に描いた非現実的なルート」


 


②米原ルート
敦賀以西の主な経由地:長浜市、米原市
大阪への接続:米原で東海道新幹線に接続
メリット:小浜ルートと比べて費用がかからない、京都・名古屋からの利用も可能で経済効果が最も高い、山陽新幹線への直通も可能、湖西線と比べ運行が安定
デメリット:接続先の東海道新幹線が限界である、名古屋に最も近いルートのため東海地震が起きた際の東海道新幹線のバイパス機能としての期待が最も薄い、北陸自動車道や北陸本線もそうだがちょっと遠回り、滋賀県の負担

③湖西線ルート
敦賀以西の主な経由地:高島市
大阪への接続:湖西線をミニ新幹線またはフリーゲージトレイン化し京都へ接続
メリット:新線を造らないので費用がほとんどかからない、湖西線は結構近道だし京都にも接続する、山陽新幹線への直通も可能
デメリット:フル規格ではないため高速性に限界がある、湖西地区の気候条件の問題


 


 


1973年の整備計画では主要経由地に小浜市が加えられていたため①若狭ルートが想定されていたが、現在は②米原ルートが有力と見られている。しかし、飽和状態の東海道新幹線が一番の課題で、リニア中央新幹線が大阪まで開業すればなんとかなるとの話だがそれは一体いつになるのやら・・・。


 


 


 


 


 


なんだか文字だらけとなってしまいました・・・。次回からは高岡に建設予定の新高岡駅(仮称)に関するいろいろを書きたいと思います。

(2009年8月30日 前身ブログより)

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