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高岡ふるさと応援隊会員No.0001のブログ

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10年間の反省 その④

高岡大仏周辺のまちづくりを行うNPO法人「大佛三郎」と出会ったのは、2015年。
(存在自体は、学生時代からSNSで知っていました)
観光ボランティアガイドやまたちばなに、大佛三郎理事長が入会したことがきっかけでした。

翌2016年は大佛三郎カステラ出店手伝い、大仏前公園での朝ヨガへの参加という形で協力しておりました。
その後、大仏周辺で事業をしようという話になり、市役所非常勤退職後の2017年6月に理事就任。
そして8月末から、大仏周辺での朝食事業(週末限定)をスタートさせました。

また、同時期に山町筋の飲食店開業の話もあり、お手伝いさせていただくことになったのですが、
大仏事業もあったため最終的にはアルバイト(オープニングスタッフ)という形になりました。
こちらも9月にオープンしました。

2つの観光地飲食店開業に携わることになり、とてもワクワクしていた一方、
今思えば「朝」と「夜」の両立はかなりしんどかったですね・・・。

そして、これらもやはり「学ぶ姿勢」で取り組んでいたのですが・・・。
この辺はこれまでと一緒です。



2018年、依然としてフリーター状態だった私を心配してくれたこともあり、4月からNPO職員としての雇用形態をとってもらうことに。
とは言え雇用関係の事務は全て自分で行ったので、その辺の経験ができたのは本当に良かったです。ただ、結果それだけで終わりました。

朝食事業以外にも、大仏周辺で事業を構築し・・・というのを目指していたものの、私の力では到底できなかった。
そもそもどうすればいいのかさえわからなかった。

人のやっている事業に受け身姿勢で参加し続けたとしても、「いざ自分で」となると何もできないのです。
これはもう、全く違う能力。自分で考えて行動する経験が全くなかった私には、とても無理でした。

結局、何もできないのに変なプレッシャーだけがのしかかり、とうとう8月いっぱいで退職になりました。



こうやって振り返ると大した挫折でもなく、とても恥ずかしい話ですが、
これらを経て「まちづくりにはもう関わりたくない」と真面目に思い始めていました。
とは言っても決して嫌気を差したというわけではなく、「自分の能力では無理だ」と思ったのです。




もう26歳だし、「高岡のまちづくり」なんて身の程知らずの夢は諦めて、そろそろ真面目に働こう・・・。




そんな中、とりあえずの再就職先は、あっさり決まりました。
市役所建築政策課(かつて非常勤で勤務した旧建築住宅課などが再編してできた課)の産休代替職員として、2018年10月から2020年3月までの1年半、勤務することになりました。

「やりたいことがある」と言って2017年3月に退職した市役所に、僅か1年半での舞い戻り。
もう「わけアリ」感が半端ないですね(笑)後ろ指覚悟でした。

でも、「産休に入る職員さんがいる」とお話をいただいた時、26歳無職。
この状況で断る方がおかしいので、即応募したのでした。



産休代替職員は非常勤同様の非正規雇用にはなりますが、任期があること以外はほぼ正規同等雇用。
フルタイムでちゃんと働くのは、恥ずかしい話、人生初めてでした。

なので、この1年半真面目に働いたのは、とてもいい成長になりました。
色んな事情があって大学時に就活をせず、そのままフラフラな生活を続けておりましたが、やっぱり働かないと得られないものはいっぱいある。
特に「人としての責任」を、30歳近くになってようやく学ぶことができたと思います。
今までの自分は本当に無責任だったんだなと、つくづく感じました。

また、空き家対策や住宅政策に関する仕事に携わったのですが、特に空き家対策関係の団体の方との繋がりができ、学生さんも交えて一緒に活動を行ったことが大きな経験になりました。

そして、フルタイム勤務になって時間の制約ができたにもかかわらず、急に色んな意欲が湧いてくるようになりました。
この再就職がいいリハビリにもなったような気がします。





一方、「まちづくりにはもう関わらない」と思っていたところではありますが、2018年暮れには早くも大きな話が決まります。
なんと、2014年から在籍している観光ボランティアガイド「やまたちばな」の次期代表になったのです。
最年少で入会歴もガイド歴も短く、順番的に自分でないのは明らかだったのですが、勢いで立候補することになりました。
まさか、20代のうちに代表になるとは・・・。

そして2019年2月、正式に代表就任となりました。

これまで一会員として参加していたのが、急に代表になるわけですから、心境も全く変わります。
これも自分にとって大きかったです。
やはり、責任を負う立場という経験が欠けていたのだと思います。

しかし、未熟なもので、ここでも悪戦苦闘です。
毎月の定例会をこなすだけでもいっぱいいっぱいな状態。
なんとか最初の1年を終えることができましたが、今は新型コロナウイルスの影響で予定が色々狂っております・・・。




この頃、「地域活性化とは何か」という答えに、改めてたどり着きます。
きっかけは活動でも何でもなく、まちづくり専門家・木下斉先生の著書を読んだことでした。

まず目にしたのは、『稼ぐまちが地方を変える ―誰も言わなかった10の鉄則―』。
その後、『地元がヤバい・・・と思ったら読む 凡人のための地域再生入門』、最近は『まちで闘う方法論』も読みました。

これらの著書で学んだことは、「地域活性化=地域に稼ぎを生み出すこと」「まちをひとつの会社に見立てて経営すること」「まちづくりは補助金に頼らず民間中心に」といったことでした。
これまでになかった目線を学び、同時にこれまでの自分の姿勢も良くなかったと感じました。
まちづくりのダメなところだけでなく、自分のダメなところもよくわかったのでした。

そして、大学時代に通っていた塾の先生に言われたこと・・・それが全てだったなとこの時気がつきました。
あの時、「経済」「経営」という目線を持って、そういった分野を学ぶことができれば、その後の5年間は全く違っていたはず。

もっと言えば、高校生の頃に気づいていれば、大学は法学部に行かず、経済学部か経営学部に進んでいたと思います・・・。




そんな中、2018年暮れに大仏周辺での新たな事業の話が出てきました。
本当は、市役所産休代替職員の任期が終わる2020年春に向けた就活を考えていましたが、退職後は再度まちづくりに飛び出そうと決めたのでした。

2019年中は、その事業に関する打ち合わせも少しずつ進めていきましたが・・・。
なかなか自分の能力や思考が周りのメンバーに追いつかず、正直今でも頭を悩ませています。
でももう、やるしかないんだという気持ちで取り組んでおります。

そして、同時並行で、ようやく自分で事業を組み立ててみる段階にも入りました。
2020年3月の退職後、新型コロナウイルスの影響もあって家にこもるようになりましたが、ない頭で色々考えているところです・・・。






・・・家にこもる生活で、これから地域活性化事業に挑戦していく中、
今までの反省も踏まえて改めて振り返ってみようと思い、4回に分けてブログ記事を書きました。
これがもう既に成功している人の半生だったら、読む方にとっても価値のある内容だと思いますが・・・いつかそうなるように頑張ります。

「高岡を盛り上げたい」「高岡の地域活性化をしたい」と思い始めて10年あまり。
しかし、「地域活性化は、地域で稼ぎを生み出していくこと」という結論に至るまでに時間がかかってしまっただけでも、かなり損な時間を過ごしていました。

そして、「色々参加しているうちに、答えが見つかり、自ら事業を起こすこともできるようになるだろう」という姿勢もアウトでした。
「自分はまだまだ経験不足だから、何もできない」と言って逃げているに過ぎなかったのです。

「とりあえず何か自分でやってみよう」という姿勢があれば、高校生の頃にでも何か始めることができました。
学生起業家の方も、今時たくさんいますからね・・・。
行動できる人は、すぐ行動できるので、本当にすごいなと思います。

こうやって、10年あまりを無駄に過ごしてしまったのは、自分にとっても、地域にとっても、マイナスだったと思います。
行動できない性格を今から直すのは、なかなか難しいかもしれませんが・・・。
次の10年を無駄にしないためにも、高岡のために自ら行動していきたいと思います。


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