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観光ボランティアガイド養成講座 古城公園・高岡大仏編(7/12)

前々回の記事「観光ボランティアガイド養成講座 伏木編(6/14)」
前回の記事「観光ボランティアガイド養成講座 山町筋・金屋町編(6/28)」








今回の現地学習会の集合場所である古城公園へ向かう際、高岡駅を通りました。
ちょっと前まで改札入口横にあった「おりん」が、この場所に移動しておりました。
また、その横には7月12日にスタートしたお化け屋敷「見津子の血涙」
それから瑞龍寺夏のライトアップのポスターがありました。






さて、7月12日(土)10時より、観光ボランティアガイド養成講座の4回目、
現地学習会の3回目が開催されました。
今回は、ボランティアグループ「やまたちばな」の皆様のガイドで、
高岡城跡である高岡古城公園と、日本三大仏のひとつと言われる高岡大仏を案内していただきました。

高岡古城公園の小竹薮休憩所で集合し、2グループに分かれて学習会が開始。



高岡古城公園は、今から405年前の1609年、加賀藩2代藩主前田利長によって築城された高岡城の跡地にできた自然公園です。
高岡城は富山城焼失後の新たな城として建てられ、その後1615年の一国一城令により僅か6年で廃城となりましたが、二重の水濠等の基本構造はそのまま残されました。

その結果、現在は高岡城跡という史跡としてだけでなく、
市街地ながら東京ドーム約4.5個分、隣県の名園兼六園よりも広い敷地で、
その3分の1が水濠という四季折々の自然いっぱいの「高岡古城公園」として、市民の憩いの場となっております。

日本100名城、さくらの名所100選、日本都市公園100選、甦る水100選、日本の歴史公園100選などにも選ばれています。

本当はもっと詳細に語りたいところですが、長くなりそうなのでざっくりと説明いたしました・・・。







そんな古城公園の現地学習会は、集合場所付近の「小竹薮」(おたけやぶ)からスタート。
古城公園の最も北側に位置する広場で、唯一「~丸」という呼び方をしない場所です。





その小竹薮には、古城公園の固有品種「タカオカコシノヒガン」という桜があります。
これは全国に普及しているコシノヒガンとは異なる新品種であることが判明し
2009年3月に命名されたものです。






小竹薮、後述の「夕日の曲碑」の横にある、スダジイの木。
古城公園に多く茂る木のひとつで、この場所以外にも存在するそうです。






小竹薮西側にある、「夕日の曲碑」
「夕日」は、高岡出身の名作曲家・室崎琴月の代表作のひとつです。
(作詩は葛原しげる)
私も博労小学校と南星中学校の校歌で馴染み深い方です。






続いて、小竹薮と本丸の間にある「中の島」へ。
中の島は1907(明治40)年に造成されたもので、築城時から存在するものではないそうです。

中の島から、お濠を眺めます。






中の島に植えられている、「やまたちばな(やぶこうじ)」。
今回案内してくださったボランティアグループと同じ名前ですね。






中の島にある、服部嘉十郎顕彰碑
1870(明治3)年、高岡城跡は民間に払い下げられ、開拓がなされようとしていましたが、
当時市長にあたる役職であった服部嘉十郎らが請願運動を行い、
1875(明治8)年にその運動が実って城跡は公園として残されることとなりました。
服部嘉十郎は、古城公園を救った人物として、この場所に顕彰碑が建てられております。






中の島から、「赤い橋」として有名な朝陽橋を撮ったつもりが、赤い橋はほとんど写ってないですね・・・。






続いて、かつて天守閣があったとされ、古城公園内では一番広い「本丸」へ。
児童公園の裏には、与謝野寛・晶子歌碑があります。
与謝野寛(鉄幹)と与謝野晶子夫妻は、1933(昭和8)年に高岡を訪れ、この古城公園にも足を運んだそうです。
この歌碑には、夫妻が古城公園や高岡で詠んだ歌が刻まれています。
また、与謝野晶が高岡大仏を見て「美男」と語ったとされるエピソードも、今日まで語り継がれています。






本丸広場と児童公園の間には、前田利長公銅像があります。
1609年9月13日、高岡城に入城した際の姿とされているそうです。






本丸の西半分を占める本丸広場。
現在は芝生広場ですが、かつて城の要があった場所とされ、近年発掘調査も行われました。
もちろんイベント等にも利用される市民憩いの場です。







本丸の東側半分を占めるのは、射水神社
射水神社がこの地にできたのは1874(明治7)年のことで築城時から存在するものではありませんが、
初詣、結婚式、七五三など、多くの市民で賑わう場所です。






本丸と二の丸(市民会館・護国神社)を結ぶ土橋の両側には、
築城時の石垣がそのまま残されていると言われています。







その後、二の丸を通って駐春橋を渡り、いったん古城公園を出まして・・・。
駐春橋から約200mの場所に存在する、高岡大仏を案内していただきました。
高岡大仏は奈良、鎌倉と共に「日本三大仏」と言われていますが、
岐阜大仏など三大仏を名乗る場が多いため、定かではありません。

高岡大仏は1221年に源義勝によって二上山麓に建てられた木造大仏が起源とされ、
その後移転と幾度の焼失を経て、1933(昭和8)年に現在の銅造大仏ができました。

前回の現地学習会で訪れた山町筋の土蔵造りもそうでしたが、
1900(明治33)年の高岡大火による焼失で「火に強い大仏の再建」の声が強まり
高岡の伝統産業である銅器技術による再建が行われました。
そのため高岡の代表的な観光地だけでなく、高岡銅器の技術の結晶としても価値のある場所であります。

台座の内部には回廊がありますが、今回の学習会で初めて知りました。
回廊は、時計回りが順路だそうです。
つまり、入ってから左に曲がらなければならないということ。
私含め、右に曲がって反時計回りで進む人の方が、多いのではないでしょうか?
これは衝撃的でした・・・(笑)

また、2012年に誕生した高岡市観光大使キャラクター「あみたん娘」は、この高岡大仏がモチーフとなっています。







大仏様を案内していただいた後、大手口から再び古城公園へ。
大手口には、キリシタン大名・高山右近像があります。
現在放送中のNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」では生田斗真さんが演じておりますが、
この高山右近は高岡城の設計を行ったという説があります。







鍛冶丸にある、高岡市立博物館。
こちらは1951(昭和26)年に高岡産業博覧会が開催された際に建てられた建物で、
元々は美術館でした。






明丸にある高岡古城公園動物園も同じく産業博覧会時に作られ、珍しい無料動物園として親しまれています。






動物園内には、高岡出身の藤子・F・不二雄さんら漫画家154人のレリーフを集めたブロンズ製モニュメント「絵筆塔」があります。






絵筆塔にはもちろん、ドラえもんの絵があります。





その後、築城時から残る三の丸の「民部の井戸」を案内していただき、
集合場所の小竹薮に戻り、2時間に渡る現地学習会は終了いたしました。

暑い中、案内してくださいました「やまたちばな」の皆様、本当にありがとうございました。





古城公園にしても高岡大仏にしても、幼少から行き尽くした感がある場所ですが、
今回こうやって案内していただいて、知らないことがまだまだあるんだなと思わされました。
特に大仏の回廊の順路と、古城公園動物園の絵筆塔は初めて知ってかなり驚きました。

まだまだ詳しいつもりになってはいけませんね・・・。



次回は現地学習会もいよいよ最後。瑞龍寺とのことです。
「徒歩」という交通手段を多用している人間としては、最後にして一番楽な場所だというのは観光ボランティアガイド養成講座の話には一切関係ありませんね・・・(笑)






そして、この古城公園・高岡大仏の現地学習会が終わった後、
市内飲食店で昼食中にかかってきた電話で、午後から隣県に連れ出された話は・・・。
このブログで書こうかどうか迷い中であります(笑)
ええ、一応「まちおこし」的なテーマも入っている話ではありますので・・・。
まあ書かないかもしれません(笑)




それでは、とりあえず今回の更新はこの辺で。


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