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高岡ふるさと応援隊会員No.0001のブログ

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高岡の歴史から学ぶこと

2010年2月8日、前身ブログにこんな記事を書きました。
(その後、当ブログに書き写しております)

奇跡・・・(前身ブログより)






当時17歳(18歳誕生日目前)の高校3年生が書いた稚拙な文章で恥ずかしい限りですが、
学校の図書室で高岡の歴史を学び、とても勉強になったという内容です。

この時読んでいたは、『高岡400年のあゆみ』(神保成伍氏著、文苑堂書店出版)という本で、高岡開町からの歴史がわかりやすく書かれております。
文苑堂書店でも販売されておりますので、興味のある方はぜひお買い求めください。




昨日のブログにも書いた通りですが、あれから10年も経って、何も行動していないというのは大いに反省すべきことだと思っております・・・。




さて、いつだったか忘れましたが、去年か一昨年くらい。
ひょんなことからこの本と再会を果たし、その後文苑堂書店で購入しました。
そして、何度も読み返し、最近もまた読み返しました。

やはり、歴史から学ぶべきことは多いなと思います。
というか、地域活性化に携わる以上、まずその地域の歴史をきちんと学ぶ必要があるでしょう。
このまちは一体どんなまちだったのか、どのように繁栄し、そしてどのように衰退して行ったのか。

かくいう私も、まだまだ高岡の歴史への理解は不十分だなと思っているので、これからも勉強していきたいです。
特に、「いつ頃から衰退が始まったのか」というポイントを、しっかり理解しなければいけないなと。




高岡の歴史について、高校生の時に抱いた感想は、一番最初のリンクにある通りですが・・・。
アラサーとなった今、改めて感じる「高岡」という町は、「経済都市」としての歴史が強かったのかなと。
言い換えると、「商人の町」といったところでしょうか。
また、「高岡商人」という言葉もあったと思います。

高岡城廃城後の前田利常公による「町人町」としての高岡再生に始まり、明治以降は北陸の経済都市として繁栄。
その勢いはとてもすごかったと思います。
1889(明治22)年に全国初の市(31市)のひとつとして市制施行したことも、その証明でしょう。

しかし、そんな高岡も地方衰退の波に飲まれていき・・・。
「経済都市」「商人の町」「町人町」としての勢いは、全くなくなってしまいました。
人口も減少し、特に中心市街地の衰退が激しいです(一方、郊外チェーン店舗は盛況です)。

極めつけの出来事となったのは、高岡市の財政難報道。
行政が今でも叩かれている状態ですが、果たして行政だけが悪いのでしょうか。
エビデンスはないのであくまで仮説(というか想像)ですが、私はこのような経済衰退の影響が一番大きいと思っております。

今後、高岡を再生させるには、やはり「経済都市」「町人町」としての勢いを取り戻すことだなと思います。
何も行動せずにただ行政を批判するだけでは再生できませんし、動くべきなのは行政よりも、むしろ民間・・・つまり「町人」でしょう。




最近そんなことを考えておりまして、私もようやく動き出す決意ができました。
このことに、学生時代にちゃんと気づいて、動くことができていれば・・・と思います。
「まちづくり」「地域活性化」とは何か、答えがないままとうとう10年もかかってしまいました。

10年かかってようやく出てきた「答え」。
次の10年は、その答えに基づいて取り組んでいきたいと思います。





相変わらず文章力がなく、まとまらない記事となりました・・・。


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