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高岡ふるさと応援隊会員No.0001のブログ

高岡市の情報をゆるーく発信。

静かな黄金週間

今年の黄金週間は、静かに終わりを告げました。

去年の10連休を思い出します。
平成から令和へと時代が変わる瞬間でしたし、連休が終わるのがとても憂鬱でした。

まさか1年後、こんなことになるとは・・・。



私も3月31日の退職後はほぼ家で過ごしているため、連休という感覚はありませんでした。
事業の構築や、やまたちばなの事務などが溜まっている状況ですが、能力がなくて進みません・・・。



ニュースやネットを見ていると、こういう非常時に、人間の悪いところも露わになるし、いいところも明らかになるなと思います。
こういう時に無力なのはとてもつらいですが、コロナ終息後の未来を見て、生きていきたいと思います。




本当は違ったネタを書きたかったのですが、時間も時間なので、これで毎日更新を保ちます(笑)


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高岡古城公園の観光地としての未来



 本丸と梅林曲輪を結ぶ赤い橋「朝陽橋」は、高岡古城公園名物。
 また、内堀に「お濠巡り遊覧船」が運航している。












ここ数日の投稿にもあります通り、2014年より、高岡古城公園(高岡城跡)と高岡大仏を拠点とした高岡観光ボランティアガイド「やまたちばな」に所属。
未熟ながら、2019年からは代表を務めております。

入会当初は、喋りに自信がないことからなかなかガイドに踏み出せず、高岡古城公園のガイドをようやく一人でできるようになったのは、2018年のことでした。
それからは、ガイド活動が楽しくなり、ここ2年で結構な数のガイドをこなしたと思います。

主に担当するガイドは、観光協会経由で依頼が来る大手旅行会社のツアーバスです。
時々個人客の方もありますし、一度だけですが射水市の中学生(宿泊学習)にガイドしたこともありました。

北陸新幹線開業後、ガイドの依頼が大幅に増え、特に桜・紅葉の季節(4月と11月)は月20~30件レベル(2019年)。
今年の4月も、新型コロナウイルスさえなければ、かなりのガイド依頼がある予定でした。




元々、高岡古城公園が好きだった私。
高岡のまちづくりに興味を持ち始めた2008年頃、観光地にも関心を持つようになったのですが、特に古城公園が一番だと思っておりました。
(それまでは、ただの公園と思っておりました・・・)

2014年に観光ボランティアガイド養成講座を受講した後、5つある団体の中から、やまたちばなに声をかけてもらったのは、運命だったのかもしれません。
時間はかかってしまいましたが、他の観光地よりも「古城公園の語り部」となれたのは、誇りに思いたいです。




しかし、こうやってガイド活動を重ねていくと、高岡古城公園の観光地としての「課題」も、色々見えてきているところです。
今回は、その「課題」について書きたいと思います。









 本丸~二の丸(市民会館)間の土橋に残る石垣。
 築城時の貴重な遺構とされている。








今回紹介する「課題」は、あくまで個人の一意見です。
また、統計等のエビデンスはなく、直感的な話になりますので、予めご理解ください。




さて、本題に入りますが、私が感じる「高岡古城公園の観光地としての課題」は、大きく次の2点です。



①そもそも市民が「高岡城跡」の良さをあまり認識していない

②観光地として「稼ぐ」力がない



他にも細かい課題はたくさんありますが、観光地として成長するために必要な重要課題は、この2点に絞られてくるのかなと思います。








①そもそも市民が「高岡城跡」の良さをあまり認識していない



 高岡古城公園(国指定史跡・高岡城跡)の案内図。
 この曲輪・堀・土橋等の形状は、築城時から残り続けている。





そもそも、地元市民にとって「高岡古城公園」とはどのような認識でしょうか。
これも特にアンケート等の調査ではなく、あくまで私がこれまで感じてきた印象ですが、
おそらく「緑あふれる広い公園」というような認識が強いように思えます。
(私自身も、中学生頃まではそのような認識で、あまり気にも留めない存在でした)

確かに、明治に入ってから城跡保存のために「公園」として指定され、
裁判所、図書館、美術館などの公共施設、野球場、相撲場などのスポーツ施設が園内に設置。
現在でも、市民会館(休館中)、博物館、体育館、動物園が園内にあります。
また、里山のような植物も多く、桜や紅葉の名所でもあることから、「自然公園」「市民憩いの場」としての役割を、長年果たしてきたと思います。



しかし、高岡古城公園は、かつてはれっきとした「城」だったことを忘れてはいけません。

もちろん、「城跡」ということくらいは誰もが知っていることだと思いますが、
正直「城なんてないのに・・・」という言葉は今まで多くの方から耳にしました。
天守その他の建造物が、一切残っていないからです。
「城=天守」というイメージが強いのがとても大きく、それが残っていない高岡城は地元からも「城もどき」のようなイメージになっているのだと思います。

でも、高岡城跡の大きな魅力。
それは、「曲輪、堀、土橋、土塁」といったいわゆる「縄張り」の部分が、築城時からほとんどそのままの形で残り続けていることです。
これはとても重要なことで、全国でもあまり例のない誇るべき話なのですが、地元市民もあまり知らないのではないでしょうか。
(天守が残っている有名な城でも、縄張りを見たら本丸など一部分以外は宅地化・農地化されてしまっている、という例は多いでしょう)
実際、私もこの辺をちゃんと知ったのは、「やまたちばな」に入ってからです。

そもそも、「城」は「お殿様の居住地」でもありますが、「防御施設」であることが何より重要。
そして、その防御力が試されるのは、天守などの建造物よりも、曲輪や堀などの縄張りです。
つまり、「城=天守」ではなく、「城=縄張り」と言っても過言ではないです。
したがって、それがしっかり残る高岡城は、全国でも大変貴重な城跡だと思います。

そんな高岡城跡は、「国指定史跡」になっている他、富山県で唯一「日本100名城」の指定も受けています。
「城跡」としての価値が、大きく認められている証拠だと思います。
ちなみに「日本100名城」はスタンプラリーが行われているため、スタンプ目的で来城される方も非常に多いです。



このように全国に誇れる城跡であることは間違いないのですが、まず地元市民にも知られていない。
高岡城跡だけでなく、「地元のよさ」をあまり語れない人も多いのではないでしょうか。
口を開けば、「なーんもない町」という言葉もよく聞きますよね・・・。
まず地元に理解されていない魅力を、観光客に伝えるのはなかなか難しいと思います。






~解決策を考えてみる~

今後、「高岡古城公園の語り部」として、観光客はもちろんのことですが、市民にも魅力を伝えていけたらと思っております。
もちろん年齢層等は関係なくと行きたいところですが、特に「小中高生とその親」が重要かなと。なんとなくです。

我々世代は「総合的な学習の時間」などで地域のことを学ぶ機会はありましたし、2学年下の世代からは「ものづくり・デザイン科」が導入されました。
しかし、この高岡城跡の魅力もそうですし、高岡の魅力を知る機会がまだまだ少ないのではないかなと思います。

まあ、それでも、10代の頃は特に「こんなまち」と思うのは仕方ないのかもしれません。
でも、「親や教員も含めて周りの大人が誇りを持っていないから」ととらえることもできるような気がします。
正直どちらなのかはわかりませんが、もし後者だとしたら、やはり何らかの取り組みが必要だと思います。









②観光地として「稼ぐ」力がない



 池の端堀(西外堀)沿いの桜。
 本丸西側(桜のあるところ)は約20mの崖地となっている上、その先(写真左側)は沼地が広がっていたため、堀は池の端堀のひとつしかない。





「観光」ということについて、私もかつて大きな見識誤りをしておりました。
「観光客がたくさん来ることに価値がある」と思っていたのです。

しかし、重要なのは「観光客受け入れによって、地域経済に利をもたらすこと」だと学びました。

観光でもイベントでも、「来場人数」が重視されがちですが、本当に重要なのは「まちにどれだけの稼ぎがあったか」。
この目線で高岡古城公園を考えていくと、大きな課題が見えてきます。




観光ボランティアガイドとして一番対応している、大手旅行会社のツアーバスを想定します。
1時間程度のガイドが多いです。最近では1時間を切るようなガイドも増えています。
また、日本100名城や「続・日本100名城(県内では富山城と増山城が指定)」に指定された「北陸名城ツアー」が大半です。

まず、長年「公園」としての歴史を歩んできたので、入園料はかかりません。
中の施設も公共施設がほとんどなので、入館料がかかるところはありません。
(もっとも、1時間程度のガイドだと、100名城スタンプのある博物館以外の施設に立ち寄る時間もありません)

同様に、駐車場はバスも含めて無料です。

お土産物の買えるスペースは、三の丸茶屋内の売店にありますが、全体で1時間程度だと立ち寄る時間がありません。
また、同じく三の丸にイタリアンレストラン「古城亭」がありますが、食事する時間なんてもっと取れません。

名城ツアーなので、前後はほとんど富山城・七尾城・金沢城のどれかです(増山城という話はあまり聞いたことがない・・・)。
つまり、行程上高岡市内で立ち寄る場所は、高岡城のみです。富山県内唯一の場合もあります。

そういったツアーの行程を見ていると、宿泊地はだいたい金沢市。
宿泊地や食事場所が高岡市内という話はあまり聞いたことがありません。

なお、我々ガイドには、交通費として1人1,000円をいただいております。
また、お土産代わりに会で制作したガイドブックを販売しておりますが、時間次第では売ることもできません。




いかがでしょうか。
この一通りの流れで、高岡市にいくらお金が落ちるでしょうか。
確実にあるのは、最後に書いたガイド交通費くらい。
可能性があるのは、同じくガイドブックの売上。あとはたまに小竹藪駐車場や三の丸にある自動販売機で飲み物が売れるくらいでしょうか。
観光客1人あたりで計算したら、最悪の場合50円程度しか落ちないことになります。
(ガイド1人に対し観光客20人で計算)

ツアーバスも、もう少し高岡市や富山県に特化した行程のものになれば、まだ高岡市での宿泊・飲食の可能性が出てくるかもしれません。
また、個人客なら、その可能性は更に増えると思います。
しかし、我々が対応するほとんどは前述の名城ツアーですし(もっとも、個人客はガイドを頼まない、というのもあると思います)、そうでなくても「高岡古城公園」としてお金の落ちる仕組みがほとんどないのが現状です。

高岡市の統計によると、高岡市の観光客入込数は年間3,793,961人(2018年)。
内訳を見ると、高岡古城公園は市内トップの895,500人です(高岡大仏92,000人、瑞龍寺168,773人)。
また、やまたちばなとしては、年間約2,000~3,000人の観光客を古城公園で対応しております。
しかし、これだけ観光客が来ていても、地域経済へのプラスがほとんどないのです。




~解決策を考えてみる~

①入園料(入城料)をとる
②駐車料金をとる
③高岡城に特化した資料館を作り、入館料をとる
④園内の土産物屋や飲食店をもっと充実させる

・・・単純に考えれば、このあたりが思いつきますが、どれも簡単には行かない思われます。
①②は、長年「公園」として親しまれているため、料金をとると提案したらどうなるか容易に想像がつきます・・・。
(①の場合なら「有料エリアを設ける」、②の場合なら「大型バスのみ有料にする」といった方法も考えられますが)
③はお金がかかる話になりますし、④も含めると史跡・公園内での出店はハードルが高いと思われます。




なので、まだ現実的かなと思われる方法は

⑤周辺での充実した出店
⑥周辺店舗への回遊を促すような観光ルートの企画
⑦ ⑤⑥を踏まえた積極的な営業
⑧本丸広場などでの定期マーケット開催

あたりかなと・・・。

最近は、駐春橋からすぐのところにイタリアンの「コッテロ」がオープン。
小竹藪側の県道44号(旧国道8号)沿いには、小中学校時代の同級生がパン&カフェの「月とカンパニオ」をオープンさせました。
こういったお店が増えていけばいいなと思いますし、あとは池の端側も充実しないかなと・・・。










 本丸広場にある城主・前田利長公像。








長くなりましたが、私が最近感じている「高岡古城公園の観光地としての課題」はこのようなところです。
そもそも新型コロナウイルスの影響で、今後観光産業そのものがどうなっていくかわかりません。
そこが一番怖いですね・・・。

でも、これら課題については、これからしっかりと取り組んでいかなければと思います。
私一人の力ではどうにもならない話もありますが・・・。
まずは自分でできそうなところから考えて、実行していきたいです。



そういえば「ライター」という夢を持っていた

人生で初めて「ブログ」というものを書いたのは、中学時代でした。「ブログ」自体はそれより前から流行っていたかと思います。
しかし、ここ10年くらいは「SNS」の時代になり、ブログ文化も昔と比べたら薄くなった気がします。
最初はSNSはやらないと思っていた自分も、今ではすっかりSNS中心の生活です。

ただ、ブログを中心にやっていた頃と比べて、文章を書かなくなったし、読まなくなってしまったというのも、ここ数年感じてきたところです。
学生時代は時々アホみたいな文章量を書く人間でしたが(笑)、今ではそこまで書けなくなってしまいました。




また、最近「時代が変わったな」と思うのは、「YouTube」ですね。
一昔前のYouTubeと言えば、単に動画を楽しむサイトだと思っていたのですが、最近は「YouTuber」なる職業が現れるなど、動画サイトの枠を超えて「自己表現の場」になりつつあります。
本当にこれはすごいことだなと。YouTubeを見ていると、色んなことをやっている人がいて、面白いなぁと思います。
自分もYouTubeやってみようかなと思ったりもしますが、これと言った芸もないですからね。



高校生の頃、「ネットの時代なんだから、地方にいながらでも夢を叶えることができる」と根拠もなく言っていたような気がします。
ネットがあるのだから、昔と比べて情報の地方格差はないはずだし、ビジネスも文化もわざわざ東京などの大都市を拠点にする必要なんてないと、なんとなく思っていました。

その後、SNSやYouTuberの時代になり、それが更に現実味を帯びてきているなと思いますし、
ここに来て急に言われ始めた「オンライン」文化は、地方の時代に繋げていけるのではないかなと。

そんなことを、最近思ったり思わなかったりです。




色んな事情があり、2018年秋頃から当ブログもいったん休止状態に。
正直もうやめようかなと思った時もありましたが、先月20日から急に復活し、それから気がつけば15日連続投稿です。
改めて、自己表現の場として継続するべきだろうなと思ったのが、理由のひとつでした。

最近ふと思い出したのですが、小学の頃、将来の夢に「ライター」「エッセイスト」と掲げていたことが一時期ありました。
これは競馬ライターの須田鷹雄さんに憧れていたことや、父が「優駿エッセイ賞」の受賞歴があることなどがありました。

元々「将来の夢」というもの自体、強く思っていたものはそんなになかったのですが、今思えば中学以降も、競馬ライターや競馬評論家になりたい人生だったなと・・・。

その後、大学時代になって「競馬関係を職業にするのは自分には難しい」と感じたため、競馬はあくまで趣味にしようと思うようになりましたが、
競馬でなくてもいずれは自著を出してみたいという思いは未だにあります(笑)
(祖父や父も自著を出している影響が大きいです)




しかし、「ライター」という職業も、ネット時代の今、「入口」だけなら昔と比べてかなり広くなったのではないかと、最近思い始めました。
ブログを書いて「ライター」ごっこをしてみるのも、ある意味入口かもしれないなと感じています。

本当にどこかの依頼で文章を書いたり、自著を出したりするレベルに今後なれるかどうかはわかりませんが、再度ブログで「ライター」の夢に挑戦してみようかなと思います(笑)



10年間の反省 その④

高岡大仏周辺のまちづくりを行うNPO法人「大佛三郎」と出会ったのは、2015年。
(存在自体は、学生時代からSNSで知っていました)
観光ボランティアガイドやまたちばなに、大佛三郎理事長が入会したことがきっかけでした。

翌2016年は大佛三郎カステラ出店手伝い、大仏前公園での朝ヨガへの参加という形で協力しておりました。
その後、大仏周辺で事業をしようという話になり、市役所非常勤退職後の2017年6月に理事就任。
そして8月末から、大仏周辺での朝食事業(週末限定)をスタートさせました。

また、同時期に山町筋の飲食店開業の話もあり、お手伝いさせていただくことになったのですが、
大仏事業もあったため最終的にはアルバイト(オープニングスタッフ)という形になりました。
こちらも9月にオープンしました。

2つの観光地飲食店開業に携わることになり、とてもワクワクしていた一方、
今思えば「朝」と「夜」の両立はかなりしんどかったですね・・・。

そして、これらもやはり「学ぶ姿勢」で取り組んでいたのですが・・・。
この辺はこれまでと一緒です。



2018年、依然としてフリーター状態だった私を心配してくれたこともあり、4月からNPO職員としての雇用形態をとってもらうことに。
とは言え雇用関係の事務は全て自分で行ったので、その辺の経験ができたのは本当に良かったです。ただ、結果それだけで終わりました。

朝食事業以外にも、大仏周辺で事業を構築し・・・というのを目指していたものの、私の力では到底できなかった。
そもそもどうすればいいのかさえわからなかった。

人のやっている事業に受け身姿勢で参加し続けたとしても、「いざ自分で」となると何もできないのです。
これはもう、全く違う能力。自分で考えて行動する経験が全くなかった私には、とても無理でした。

結局、何もできないのに変なプレッシャーだけがのしかかり、とうとう8月いっぱいで退職になりました。



こうやって振り返ると大した挫折でもなく、とても恥ずかしい話ですが、
これらを経て「まちづくりにはもう関わりたくない」と真面目に思い始めていました。
とは言っても決して嫌気を差したというわけではなく、「自分の能力では無理だ」と思ったのです。




もう26歳だし、「高岡のまちづくり」なんて身の程知らずの夢は諦めて、そろそろ真面目に働こう・・・。




そんな中、とりあえずの再就職先は、あっさり決まりました。
市役所建築政策課(かつて非常勤で勤務した旧建築住宅課などが再編してできた課)の産休代替職員として、2018年10月から2020年3月までの1年半、勤務することになりました。

「やりたいことがある」と言って2017年3月に退職した市役所に、僅か1年半での舞い戻り。
もう「わけアリ」感が半端ないですね(笑)後ろ指覚悟でした。

でも、「産休に入る職員さんがいる」とお話をいただいた時、26歳無職。
この状況で断る方がおかしいので、即応募したのでした。



産休代替職員は非常勤同様の非正規雇用にはなりますが、任期があること以外はほぼ正規同等雇用。
フルタイムでちゃんと働くのは、恥ずかしい話、人生初めてでした。

なので、この1年半真面目に働いたのは、とてもいい成長になりました。
色んな事情があって大学時に就活をせず、そのままフラフラな生活を続けておりましたが、やっぱり働かないと得られないものはいっぱいある。
特に「人としての責任」を、30歳近くになってようやく学ぶことができたと思います。
今までの自分は本当に無責任だったんだなと、つくづく感じました。

また、空き家対策や住宅政策に関する仕事に携わったのですが、特に空き家対策関係の団体の方との繋がりができ、学生さんも交えて一緒に活動を行ったことが大きな経験になりました。

そして、フルタイム勤務になって時間の制約ができたにもかかわらず、急に色んな意欲が湧いてくるようになりました。
この再就職がいいリハビリにもなったような気がします。





一方、「まちづくりにはもう関わらない」と思っていたところではありますが、2018年暮れには早くも大きな話が決まります。
なんと、2014年から在籍している観光ボランティアガイド「やまたちばな」の次期代表になったのです。
最年少で入会歴もガイド歴も短く、順番的に自分でないのは明らかだったのですが、勢いで立候補することになりました。
まさか、20代のうちに代表になるとは・・・。

そして2019年2月、正式に代表就任となりました。

これまで一会員として参加していたのが、急に代表になるわけですから、心境も全く変わります。
これも自分にとって大きかったです。
やはり、責任を負う立場という経験が欠けていたのだと思います。

しかし、未熟なもので、ここでも悪戦苦闘です。
毎月の定例会をこなすだけでもいっぱいいっぱいな状態。
なんとか最初の1年を終えることができましたが、今は新型コロナウイルスの影響で予定が色々狂っております・・・。




この頃、「地域活性化とは何か」という答えに、改めてたどり着きます。
きっかけは活動でも何でもなく、まちづくり専門家・木下斉先生の著書を読んだことでした。

まず目にしたのは、『稼ぐまちが地方を変える ―誰も言わなかった10の鉄則―』。
その後、『地元がヤバい・・・と思ったら読む 凡人のための地域再生入門』、最近は『まちで闘う方法論』も読みました。

これらの著書で学んだことは、「地域活性化=地域に稼ぎを生み出すこと」「まちをひとつの会社に見立てて経営すること」「まちづくりは補助金に頼らず民間中心に」といったことでした。
これまでになかった目線を学び、同時にこれまでの自分の姿勢も良くなかったと感じました。
まちづくりのダメなところだけでなく、自分のダメなところもよくわかったのでした。

そして、大学時代に通っていた塾の先生に言われたこと・・・それが全てだったなとこの時気がつきました。
あの時、「経済」「経営」という目線を持って、そういった分野を学ぶことができれば、その後の5年間は全く違っていたはず。

もっと言えば、高校生の頃に気づいていれば、大学は法学部に行かず、経済学部か経営学部に進んでいたと思います・・・。




そんな中、2018年暮れに大仏周辺での新たな事業の話が出てきました。
本当は、市役所産休代替職員の任期が終わる2020年春に向けた就活を考えていましたが、退職後は再度まちづくりに飛び出そうと決めたのでした。

2019年中は、その事業に関する打ち合わせも少しずつ進めていきましたが・・・。
なかなか自分の能力や思考が周りのメンバーに追いつかず、正直今でも頭を悩ませています。
でももう、やるしかないんだという気持ちで取り組んでおります。

そして、同時並行で、ようやく自分で事業を組み立ててみる段階にも入りました。
2020年3月の退職後、新型コロナウイルスの影響もあって家にこもるようになりましたが、ない頭で色々考えているところです・・・。






・・・家にこもる生活で、これから地域活性化事業に挑戦していく中、
今までの反省も踏まえて改めて振り返ってみようと思い、4回に分けてブログ記事を書きました。
これがもう既に成功している人の半生だったら、読む方にとっても価値のある内容だと思いますが・・・いつかそうなるように頑張ります。

「高岡を盛り上げたい」「高岡の地域活性化をしたい」と思い始めて10年あまり。
しかし、「地域活性化は、地域で稼ぎを生み出していくこと」という結論に至るまでに時間がかかってしまっただけでも、かなり損な時間を過ごしていました。

そして、「色々参加しているうちに、答えが見つかり、自ら事業を起こすこともできるようになるだろう」という姿勢もアウトでした。
「自分はまだまだ経験不足だから、何もできない」と言って逃げているに過ぎなかったのです。

「とりあえず何か自分でやってみよう」という姿勢があれば、高校生の頃にでも何か始めることができました。
学生起業家の方も、今時たくさんいますからね・・・。
行動できる人は、すぐ行動できるので、本当にすごいなと思います。

こうやって、10年あまりを無駄に過ごしてしまったのは、自分にとっても、地域にとっても、マイナスだったと思います。
行動できない性格を今から直すのは、なかなか難しいかもしれませんが・・・。
次の10年を無駄にしないためにも、高岡のために自ら行動していきたいと思います。



10年間の反省 その③

2014年4月、当時22歳。
無職となって高岡にUターンしました。




「高岡を盛り上げたい」「高岡の活性化に貢献したい」などということを、高校生の頃から繰り返し述べていましたが、結局のところ「地域活性化」とは何なのかよく分からないまま生きていました。

あまりにも漠然としたテーマなので、意外と陥りやすい罠なのかもしれません。
学生時代のネット上での発信活動、卒業・Uターン後の地域活動参加は、今思えば「よくわからんけど、色々やっているうちに答えが出るだろう」「とりあえず色々参加して現場を見れば、いずれ自分のやりたいことが見つかるだろう」くらいのノリでした。
「自分探しの旅」みたいなやつです。

特に卒業後の数年は、今考えるとびっくりするくらい色んなところに足を運び、学びや経験を得ようとしておりました。
おかげで様々な経験、そして多くの出会いがありましたが、肝心の「地域活性化とは何か、自分は何をしたいのか」という答えを得ることはありませんでした。

それは何故か。
全てにおいて、受け身の姿勢であったことかなと思います。
特に「自分で考えて行動する」ということが欠けていた。
それなくして、ただ参加しても、得られることは少なかったなとつくづく思います。

なんか色々参加していれば、経験に基づいて自然と知識がついて、いずれいい考えが浮かぶだろう、という姿勢が全くダメだったのです。
そんな姿勢では成長もできなければ、現場で役にも立ちません。




そして、最終的に得た結論。
それは既に学生時代、耳にしていたことでした。

大学再受験という無謀なことをしていた際、都内の個人指導塾に通っておりましたが、
その先生にはっきり言われたことがありました。
「地域活性化は経済発展だ」と。

この時、「地域活性化とは何か」と聞かれて曖昧な答えしかできず、一蹴されてしまったのがとても悔しかったことを覚えております。
しかし、当時「経済発展」と言われてもピンと来なかったのも正直なところ。
こんな的を得たアドバイスをこんな早い時点でいただいていたのに、全く活かせなかったのが今ではもっと悔しいですね・・・。
(ちなみにこの先生は地域活性化の専門家でも何でもありません)
「地域の経済発展なんて、自分にできることではない」と思っていたのが大きいでしょう。

したがって、その後約5年程、「自分探しの旅」を続けることになります。







~人生初めての地域活性化プロジェクトへの参加~

Uターンした2014年春から、とある地域活性化プロジェクトの会議に出席。秋頃からはイベント手伝い(物販等)で県内外に足を運ぶようになりました。
「〇〇で地域を盛り上げよう」というようなプロジェクトは、よくあると思います。飲食だったり、芸能だったり。その部類のものです。
元々、全く興味のない分野だったのですが、当時は興味分野関係なく色んな「ご当地〇〇」を応援しており、学生時代の2013年にプロジェクトにお声かけいただきました。
初めて高岡の活性化プロジェクトに参加させていただくことになり、当初はものすごく張り切っていました。

しかし、ここには書けないような様々な事情もあり、嫌気を差すこと、ひどい時には傷つけられるようなこともあったので、2016年夏にプロジェクトを離れることとなりました。
辞めた直後は感情的なことしか思いませんでしたが、4年も経てばさすがに冷静に見つめられるようになります。

諸々の話は抜きにして、自分自身の問題点と、「地域活性化プロジェクト」特有の問題点を振り返れば、
自分自身に関しては先述の通り基本「受け身姿勢」で、単なるイベントスタッフの一員としてしか役に立たなかったこと。

そして、「地域活性化プロジェクト」特有の問題点としては、典型的な「補助金事業」であったこと。
当時は私も「地域で稼ぐ」という目線は全く持っておらず、「地域活性化=補助金事業」が当たり前と思っていました。
しかし、事業として自立していないと、継続しない。
会議に出る度に「金がないから何もできない」みたいな話があり、補助金も年々額が減り、私が離れた後には補助金が打ち切られました。
その後も細々と継続しておりますが、かつてのような勢いは全くなくなりました。

また、興味分野でないことへの参加は、今思えば慎重になるべきでした。
しかも、このプロジェクトに関しては、私だけでなくその分野に強い人がほとんどいませんでした。
これも地域活性化プロジェクトには、ありがちな話かもしれません。
やはり餅は餅屋。「地域活性化がしたい」という名目で、興味分野、もっと言えば専門分野や得意分野でないことに安易に手を出すのは、よくないなと。素人がやると中途半端なものしか出来上がらないので。
これだけでなく、この後いくつか参加したプロジェクトで、そう感じました。



・・・しかし、これに気づいた時、自分は本当に弱いなと思ってしまいました。
いかんせん「地域活性化」という漠然としたテーマのみを「興味分野」としていた人生なので、それ以外の興味分野は「競馬」くらいしかありません(笑)
また、「専門分野」「得意分野」と呼べるものも、あまりないのです。
こういう目線が早くからあれば、何か役立つスキルを身に着けることもできたのに。
何もない人間は、はっきり言って地域活性化分野でも役立たずです。

・・・今から高岡に競馬バーでも作るか、なんて(笑)





~観光ボランティアガイドやまたちばな(入会当初の話)~

無職となって高岡にUターンし、「これからどうしていこうか・・・」と考えていた頃。
「とりあえず高岡の観光地を学び直そう」と思い、観光協会主催の「観光ボランティアガイド養成講座」に参加。
市内5つの観光ボランティアガイド団体の案内で、観光地(高岡古城公園、高岡大仏、山町筋、金屋町、瑞龍寺、伏木)を学習する講座です。

高岡の観光地については、学生時代までにある程度は知っていたつもりですが(荻布寮祭で、高岡の観光地を紹介する動画を作ったこともあったので)、実際にガイドさんの案内を受けてみると、まだまだ知らない魅力がたくさんあって、楽しく学ぶことができました。
(また、この講座の参加により、高岡市広報誌『たかおか市民と市政』2014年7月号の特集に、びっくりするくらい大きく取り上げていただきました。当時金髪の無職・・・)

そして、この講座の最終目的は、観光ボランティアガイド団体の会員増ですが・・・。
当時の私はガイド団体に入るつもりはなく、ただ勉強するだけの予定でした。
(実際、この時の私のように、勉強目的のみの参加者が多いのが今でも課題です・・・)

しかし、5団体のうち、高岡古城公園・高岡大仏担当の「やまたちばな」からお誘いを受け、断れない性格の私は9月の定例会に出席。そのまま入会という流れになりました。
定年退職後の入会が多い観光ボランティアガイド団体に、22歳で入会するというのは異例中の異例でした。

ここでも「受け身姿勢」を存分発揮・・・。
元々積極的な入会でなかったのも大きいですが、何よりも人前で喋るのが苦手な私が、観光ガイドをするなんて想像もできませんでした。
ただ定例会に参加するだけの人間として、1~2年程を過ごし・・・。
このままではいけないと思い始め、2016年頃から、ガイド時間の短い高岡大仏にまず挑戦。
その後、2017年頃から高岡古城公園も少しずつ挑戦するようになり、ようやく一人で公園ガイドができるようになったのは、2018年です。
なので、ガイドに関してはまだまだ素人です。
今思えば、あまりにも時間がかかりすぎました。こんな奴を温かく見守ってくださった先輩方にも感謝です。

まさかその後すぐに代表になるなんて、夢にも思いませんでしたが、代表になった話は後述します。

ちなみに、このまま無職ではいけないと思い、2015年4月から2年間、高岡市役所建築住宅課の非常勤職員として勤務。
喋ることへの苦手意識は、ここでの窓口業務や電話業務である程度克服していたのが大きいです。





~(公社)高岡青年会議所(高岡JC)~

大学4年だった2013年、まちづくり事業「魅力ある高岡フォーラム」にパネリストとして参加させていただいたご縁で、2015年に(公社)高岡青年会議所の賛助会員として入会。
当時23歳のフリーター(市役所勤務とは言え、非正規雇用)でした。
今思えば、高岡の青年経済人として活躍される皆様と同じ団体に、賛助会員とは言えあんな中途半端な人間がよく入れたものです。
でも、40歳で卒業の団体にこんな早くに関われたことで、より多くの出会いと経験ができたと思います。そして、2032年まであるので、これからも・・・。
人との出会いに関しては、高岡JCと後述の「タカポケ」が特に幅広いと感じます。

JCはいわゆる「単年度制」で、1年で役員も委員会も全て交代。
毎年違った事業を経験できるのが、特に楽しいです。
その年の個人的な状況によって参加の状況が大きく変わりますが・・・。気がつけば今年で6年目。
簡単に振り返ります。


2015年度(1年目)アカデミー拡大特別委員会
新入会員として、JCのいろはを学ぶ段階。
また、新入会員を中心に、12月度例会の企画・運営を行いました。
(JCは1月始まり12月終わりの年度単位なので、12月が年度最終例会。年間の活動報告や、卒業式、次年度理事長への引継ぎ式などが行われる重要な例会)

2016年度(2年目)次世代育成実践委員会
高岡JC3政策「まちづくり」「ひとづくり」「みらいづくり」のうち、青少年育成を担う「みらいづくり」の委員会。
賛助会員ですが、2年目として委員会「幹事」と同等の活躍をさせていただきました。
委員会として、「子育て」をテーマとした5月度オープン例会、夏休みの小学生を対象とした事業「新幹線でGo!『未来高岡かがやき教室』~僕らの夢は無限大~」を運営。
(志村けんさんが亡くなった今、この事業で「バカ殿」の舞台を見に行ったのを思い出します)
また、18歳選挙権となった年で、市内2高校で有権者教育事業を実施。

2017年度(3年目)まちづくり実践委員会
大仏の事業等に関わり始めたため、ちょっと力が抜け始めてきた頃・・・。
大伴家持生誕1300年ということもあり、「万葉」をテーマとした4月度オープン例会、
10月の高岡万葉まつりと並行して開催された「高岡かざぐるまアート2017」を担当。

2018年度(4年目)まちづくり実践委員会
大仏事業の本格化と挫折があり、完全に幽霊部員化していた頃。
「市民討論会」として開催した4月度オープン例会と、「たかおかARスタンプラリー」事業を担当。

2019年度(5年目)まちづくり委員会
さすがに3年連続のまちづくり系委員会は・・・と思っていましたが、「開町410年」というワードを聞いて心が動きました。
また、時間に余裕ができたことと、前年までの色々で心変わりしたことで、3年ぶりに積極的に参加。
「開町410年」をテーマとした4月度オープン例会、開町410年事業「高岡城下町フェスタ2019」を担当。

2020年度(6年目)総務委員会
4年連続はよくないと思い、今年は総務委員会へ。
総会や理事会の設えを担当する他、早速新年祝賀会の担当となりました。
昨秋から今年3月の退職まで仕事が夜遅くなり、再び幽霊部員に・・・。
今年は会の創立50周年と、「全国城下町シンポジウム」という大事な年でしたが、新型コロナウイルスの影響で、全ての事業がいったんリセットの状態となっています。


「賛助会員」という甘えが出る時もあり、やはり受け身姿勢に陥りがちなのですが、
JCで特に悩んだのは、まちづくり系委員会に3年連続所属したのに、何のアイディアも出せなかったこと。
「アイディア」もすごく苦手です。若い若いと言われますが、頭がものすごく固いんだろうなと。

そして、今後正会員になるかどうかは・・・金銭等の問題もあるので、様子見です(笑)




~高岡4D-ポケット(タカポケ)~

24歳となった2016年は、本当にあちこち足を運ぶようになります。

神奈川県鎌倉市の「カマコン」を基としたプロジェクトが、2016年2月に高岡でもスタート。
それが「高岡4D-ポケット(通称タカポケ)」です。
「まちで何かをしたい」という人がプレゼン登壇し、その後参加者がアイディア出しをして、今後のプロジェクト進行に繋げていくという「ぜんぶ、ジブンゴト!」がテーマのイベントです。

第1回目に参加して感動。その後、ほぼ毎回通うようになり、秋にはスタッフとなりました。
プレゼンターや参加者の方、毎回毎回色んな人がいらっしゃるので、本当に刺激を受けます。

一方、自身も様々なテーマで3回プレゼン登壇しましたが、後に繋がったプロジェクトはひとつもありません。やはりこういうところに出てきてしまいます。
特に、一番最初。2016年9月、「若者によるまちづくり」という漠然としたプレゼンを実施。
「地域活性化とは何か」全くわかっていない現れです。
そこで集まったアイディア等で話は色々進み、2017年3月に音楽ライヴを企画することになったのですが、これも企画者として本当にひどかった。
先述の「専門外に手を出す」というところです。専門外なので何をすればいいか分からず、結果言い出しっぺとしての責任を全く果たせなかったのです。
色んな人を巻き込んだのに、全ての人にめちゃくちゃ迷惑をかけて終了しました。
2010年の荻布寮祭から、何も成長していませんでした。





これ以外にも、2014年から2016年にかけて(特に2016年)、ニート・フリーターをしながら、色んな活動に参加。
たまにSNSの発信やホームページ作成で活躍させていただいたこともありましたが、やはり受け身姿勢だったので、「〇〇に参加した」という経験が増えただけで、地域の貢献や自身の成長にはあまり繋がりませんでした。
この頃は、あちこち参加してどれも中途半端な人間という風に、周りからも見られていたかもしれません。

やはり、参加するプロジェクトの質がどれだけ良くても、自らの参加姿勢が中途半端だと、何の役にも立たないなと思います。



そんな中、おかげさまで、色々お声がけいただくことも多くなりました。
中でも新たな事業開始の話があり、2017年以降、そこに参加させていただくことになります。
そのため、2017年3月いっぱいで市役所非常勤を退職しました。


今年は幻となった「高岡御車山祭」



2013年





2015年





2017年





2018年





2019年






高岡開町から400年以上続く「高岡御車山祭」
毎年5月1日に開催されておりますが、今年はやはり新型コロナウイルスの影響で中止となってしまいました。

特に昨年は、令和最初の日ということで、大盛り上がりだったな・・・。
まさか1年後、こんなことになるとは。





また来年、御車山を見られますように。



10年間の反省 その②

2010年、高校卒業を迎え、東京都内(ただし1年次のみ神奈川県内のキャンパスに通学)の私立大学に進学。
同時に、高岡市出身の大学生が集まる学生寮「高岡市荻布学生寮」(現・高岡市学生寮)に入寮しました。
ここで2014年3月までの4年間を過ごします。

宿探しが面倒だったのもあり、こんな寮があるならそこに入ってしまおうと、高校3年の秋頃には心を決めておりました。
それに、東京へ行っても故郷を忘れられない寮生活というのには、とても魅力を感じました。

しかし当時の荻布寮は、築50年近くが経過する、若者にとっては残念に感じる建物だったかもしれません。
(2018年に建て替えしたので、現在はとても綺麗です)
でもそんなことは全く気にしませんでした(笑)

荻布寮で過ごした4年間はとても楽しかったし、今でも付き合いのある友人は荻布寮の仲間が多いです。
また、人間として成長するきっかけが、荻布寮だったなと思います。
荻布寮に入っていなかったら、今の自分はないと言っても過言ではありません。



一方、せっかく東京で4年間を過ごしたのに、大学に行ったら全く殻を破れず。
結局、荻布寮以外の人間関係はほとんど構築できませんでした。
陰キャラの影響はこういうところにも出てくるものです。



また、荻布寮の活動も、いざとなったら自信のない部分、行動できない部分、そして何よりも人を巻き込めない部分が大きく出てしまいました。
特に「人を巻き込む」ということに関しては、今でも苦手です。今後絶対に克服しなければいけないと思っております。

例えば1年生の時の寮祭出し物は、自分が言い出しっぺの企画だったのに、企画力もない、自分の考えを人に伝えられない、ろくな打ち合わせもできない、最終的にグダグダになるという最悪なパターンでした。
そして、3年生の時には寮生運営のトップである委員長になりましたが、リーダーとしての資質は全くありません。
やはり自分の思いを周りに伝えられない。結果、誰かに丸投げするか、自分勝手にやるかのどちらかでした。
特に寮祭は「高岡のPR」と「来場される方へのおもてなし」をモットーに、今までのスタイルを壊してまで奮闘し、大がかりな企画も用意して盛り上がりましたが、結局は独りよがりな企画でした(それでも盛り上がったのは、周りの皆様のおかげです)。
当時は「こんな自分でもここまでできた!」と自画自賛しておりましたが、今思えば最悪です。



でも、いい経験も悪い経験も、自分にとっては大きな財産。
人生で初めて大きな財産をくれたのは、荻布寮でした。
ただ、自分にもっと能力(その他諸々)があれば、もっとなんとかできたなという思いが一番強いのも、荻布寮です。
その辺を語り出すと長くなるので、やめておきます。
いくら嘆いても荻布寮生には戻れませんので(笑)





もちろん、この4年間は高岡を離れていたので、高岡で何か活動をしていたわけではありません。
ただ、高岡の情報はネット等で逐一チェックし、帰省もなるべく長くとっておりました。
帰省した際には色んな行事に参加してみたり。
2011年8月には高岡駅の南北自由通路「万葉ロード」が供用開始されましたが、そのセレモニーにも足を運んでおりました。

そして、大学3年の夏を迎えた2012年7月。
私の代名詞(笑)ともなる「高岡ふるさと応援隊」に応募し、会員No.0001になりました。
前身ブログは2011年を最後に更新をしなくなりましたが、高岡ふるさと応援隊をきっかけに、2012年11月から当ブログを開始。
2013年2月にはTwitterアカウントも取得しました(その後1年近くはTwitterが中心となってしまったため、ブログが疎かになりました・・・)。

その後、大学4年を迎えた2013年、このブログをきっかけに(公社)高岡青年会議所の方からお声がけいただき、北陸新幹線開業後の並行在来線問題等を考える「魅力ある高岡フォーラム」というまちづくり事業でパネリスト登壇。
この縁で、大卒Uターン後の2015年、賛助会員として(公社)高岡青年会議所に入会いたしました。




こうして東京にいながら、地元高岡で色んなご縁ができたのも、この頃です。
小さいことでも、思いを持って行動すると、大きな力になるなと思いました。

しかし、この頃「高岡のまちづくりをする学生団体を作りたい」などと言っていたような気がしますが、前述のような人間であるため当然そのようなことは成し遂げられず。
富大芸文生や法科大生との繋がりが欲しかったですね・・・。





さて、いよいよ大卒を迎えるわけですが、諸事情により就活を全くせず。
また、大学3年以降、中途半端に行動的になっていたこともあり、「大学再受験」などというぶっ飛んだことを考え出します。
まちづくり関係の大学で、学び直そうと思い始めたのです。
(このことは、今まであまり人に話していませんでしたが)

結局それも上手くいかず、2014年4月、ニートとなって高岡に帰ってきたのでした。

もう、これについては、「反省」どころの騒ぎではない・・・(笑)



令和2年4月28日 高岡市長記者会見(新型コロナウイルス感染症対策関係)

昨日4月28日(火)、高岡市長記者会見が行われ、高岡市の新型コロナウイルス感染症対策関連の発表がありました。
国民一人あたり10万円が支給される「特別定額給付金」の給付事業や、子育て世帯への臨時特別給付、中小企業・個人事業主への休業要請の協力金、妊婦へのマスク配布など、
新型コロナウイルス感染症対策に関する補正予算(案)が発表され、市議会5月臨時会(5月1日開会予定)で審議を受けます。

市民の皆様、事業主の皆様にとっても重要な情報がありますので、記者発表資料(PDFのリンク)と、主な内容の抜粋を当記事にまとめました。
内容は一部抜粋なので、詳しい内容やお問い合わせについては各発表資料をご覧いただけたらと思います。




また、高岡市の新型コロナウイルス感染症関連情報をまとめたページも、高岡市ホームページ上にありますので、こちらも併せてご覧ください。

新型コロナウイルス感染症(COVID-19)関連情報(高岡市ホームページ)










★以下、記者発表資料と、主な内容★


1 令和2年度5月臨時会提出案件について(財政課ほか)
(1)令和2年度5月補正予算(案)について(PDF:227KB)

(上記発表資料より一部抜粋)
~主な事業~

一般会計
①【新規】特別定額給付金給付事業【共創まちづくり課】17,087,890千円
家計への支援を行うため、市民1人あたり10万円の特別定額給付金を支給する。
事業の実施にあたっては、迅速かつ的確な給付を行うため、関係部局等の職員で構成する「特別定額給付金給付事業実施本部」を設置する。

②【新規】新型コロナウイルス感染症拡大防止協力金事業【商業雇用課】185,950千円
休業要請に応じた中小企業及び個人事業主に対し、協力金を支給する。

③【新規】高岡市新型コロナウイルス感染症対応資金保証料補給事業(保証料補給金等)【産業企画課】20,000千円
本市独自の中小企業支援策として、国の定める無利子融資制度を補完する保証料補給制度を新たに創設し、約40億円規模の貸付を支援する。

④【新規】子育て世帯臨時特別給付金事業【子ども・子育て課】216,409千円
子育て世帯を支援する観点から、国の基準を満たす児童手当受給世帯に対し、臨時特別給付金を支給する。

⑤【新規】妊婦へのマスク配布事業(母子健康相談・教育事業)【健康増進課】500千円
本市独自の妊婦の感染防止対策として、マスクを配布する。

⑥学校給食指導事業【学校教育課】24,839千円
学校の一斉臨時休業により発生した国が補助対象とする食材に係る経費等に対し、給食食材納入業者への違約金等を確保する。


特別会計
①【新規】新型コロナウイルス感染症対策事業【市民病院総務課】54,568千円
第二種感染症指定医療機関として、県内における患者数の増加に対し安定的に感染症医療を行うため、患者数の動向に対応できる医療資器材や医療提供体制が確保できる措置を講ずる。



(2)令和2年度5月臨時会提出議案について(PDF:150KB)

(上記発表資料より一部抜粋)
4件(予算2件、条例1件、報告1件)

高岡市職員の特殊勤務手当に関する条例の一部を改正する条例【人事課】
(趣旨)
国の取扱いに準じ、新型コロナウイルス感染症に係る防疫作業手当等の特別措置を講ずるため、高岡市職員の特殊勤務手当に関する条例の一部を改正するもの








2 大型連休中における臨時窓口の開設について(PDF:171KB)(新型コロナウイルス感染症対策本部)

(上記発表資料より一部抜粋)
 【開設場所、相談内容】
 産業企画課(本庁舎4階)
 ・セーフティネット保証等の認定申請書の受付
 ・制度融資等に関する金融相談全般
 ※同期間に、高岡商工会議所で「GW特別経営相談窓口」を開設

 社会福祉課(本庁舎1階)
 ・生活福祉資金の貸付相談・申込受付(社会福祉協議会)
 ・生活困窮(住居確保給付金)に関する相談・申請受付
 ・生活保護に関する相談・申請受付


 【開設日】
 4月29日(祝・水)、5月2日(土)~6日(振休・水)の午前10時~午後4時







3 妊婦対象マスク配布事業の開始について(PDF:764KB)(健康増進課)

(上記発表資料より一部抜粋)
本市独自の妊婦の感染防止対策としてマスクを配布し、妊婦の皆さまの健康で安心できる生活、未来の高岡市を創る子どもたちを守ります。

 1.対象者
 高岡市に住民登録があり、マスクの配布を希望する妊婦

 2.配布枚数
 妊婦1人につき不織布マスク50枚(やや小さめサイズ145mm×90mm)

 3.配布方法
  (1)妊娠届出される方
  妊娠届出の際に、母子健康手帳の交付と併せて配布します。

  (2)既に妊娠届出をされている方への配布方法
   ①配布場所・時間
    高岡市健康増進課(保健センター:本丸町7-25)
    午前10時~午後4時(土・日・祝を除く)

   ②持参いただくもの
    案内「はがき」・「母子健康手帳」
    ※妊娠届出済の方に、案内「はがき」を発送します。








4 高岡版「先払い応援チケット」の開始について(PDF:702KB)(商業雇用課)

(上記発表資料より一部抜粋)
新型コロナウイルス感染拡大や、それに伴う営業自粛等により深刻な影響を受けている市内飲食店等を応援するため、「先払い応援チケット」を作成し、参画する店舗に配布します。
多くの皆さまにチケットをご購入いただき、馴染みのお店を応援いただく ことで、同店の営業存続、及びコロナ収束後(アフターコロナ)の経済浮揚を目指します。

 1.実施主体
 高岡市中心市街地活性化協議会 (市、商議所、まちづくり会社等で構成する団体)
 高岡飲食商業組合

 2.販売主体
 販売を希望する市内飲食店

 3.額面
 1組 3,300 円(販売価格 3,000 円) ※ チケットイメージ、申込書は上記発表資料のとおり

 4.発行組数
 20,000 組
 参画店舗に対し、一店舗あたり 50 組(最大 100 組)を配布

 5.期間
 販売期間:令和2年5月上旬 ~ 令和2年12 月 31 日
 使用期間:購入日(発行日)より6ヶ月以内

 6.申込方法
 申込書の郵送・FAX、もしくは申込フォーム(Web)
 ※ 5/2(土)~5/6(水)については、市商業雇用課(御旅屋セリオ5F)において
  臨時窓口を設置し、申込書の受付、チケットの配布を行う(14:00~17:00)。








(その他)高岡市立小学校、中学校、義務教育学校及び特別支援学校の臨時休業を延長します(PDF:206KB)

報道にもあった通り、臨時休校の期間が5月31日(日)まで延長となりました。





10年間の反省・・・長くなってしまったので「その①」

正直なところ、私がいつ「高岡を盛り上げたい!」と思い始めたのかは、よくわかりません。
ただ、祖父や父もそのような人間だったため、自然とそうなっていった、という感じでしょうか。

小学3年の時(2000年)には、夏休みの自由研究で高岡について調べ、大きな地図を作っていました。

そして、元々新幹線や道路などのインフラ整備に興味のあった私。
中学3年(2006年)の選択社会科にて、高岡駅の整備(橋上駅舎化など)や、北陸新幹線開業後の「飛越能の玄関口」としてのまちづくりについて学び、とても興味深く思っておりました。

でも、この頃はまだ、「高岡を盛り上げたい!」みたいな考えは、なかったと思います。



気がついたらそんな感じになっていったのは、たぶん高校2年の頃(2008年)。
きっかけが何だったかは、本当に覚えていません。
ただ、北陸新幹線や高岡駅の工事が始まろうとしていたこと、開町400年が目前に迫っていたことなどから、高岡のまちづくりに強く興味を持ち始めていました。
ケーブルテレビの開町400年関連の番組をよく見ていましたし、市長タウンミーティングに足を運んだこともありました。

これから迎える開町400年、高岡駅整備、北陸新幹線開業に、とてもワクワクしていた頃だったと思います。



そして迎えた2009年。
開町400年の動きは、常にケーブルテレビやネットでチェックし続けました。
自分が参加できるタイミングがないか、模索をしておりました。

ただ、今思えば残念だったのが、当時の私はいわゆる「陰キャラ」で自分に自信がなく、行動力もなかったことです。
また、今でこそ「まちづくり」の仲間が増えましたが、当時高校生の私には当然周りにそのような仲間はほとんどおらず。
だから、「人には言えない恥ずかしい趣味」みたいな感覚で、この思いを誰にも話せず、一人でこそこそネット上で騒ぐだけにとどまってしまいました。

この性格が長く尾を引いたと思います。

もし人望も厚く行動力のある「陽キャラ」の人が、私みたいな思いを持ってくれたら、と思いますが、もうこれは自己責任なので・・・(笑)
この時点でちゃんと自信を持って、行動をしていたら、変わっていただろうなと。大学時代然り。
それはいいとして。



高校3年になり、4月12日(日)に開町400年イベントのひとつ「高岡築城まつり 大石曳き」がありました。
高岡城の築城を再現するイベントで、桜馬場通りから高岡古城公園三の丸(市民体育館前)まで大きな石を運ぶという内容です。
団体参加だったので、「団体」を作れない私はただ見物に行っただけでしたが、当時通っていた高校がカナダ・サスカトゥーンとの交換留学事業をしていて、カナダの高校生が高岡に来ていたため、そのチームが参加しておりました。
ちなみに前年交換留学に参加していたため、「1年ずれていたら・・・」と思いながら見物しておりましたが・・・。
最終的には見物しているのが先生にバレ、途中から参加させてもらうことになりました(笑)
本当にありがたかったです。



この2009年は、高校もちょうど50周年を迎える年で、「まちと学校の節目の年を、一緒に盛り上げよう!」という空気が自然とできてくることに期待し、その時になったらぜひ参加しようと思っていたのですが・・・。
結局、学校として開町400年事業に参加していたのは、この大石曳きだけでした。
あとは、体育大会に利長くんが来てくれたことくらいかな。

「他力本願」はよくないなと、この時思いました。
なのにその後長らく「他力本願」の姿勢を続けるわけですが・・・(笑)
自分が「それくらい当然」と思っていることでも、実は自分だけしか思っていないことって、結構あります。
それを成し遂げたいなら、生徒会にでも入って学校を動かせば良かっただけのこと。
しかし、当時の自分には、とてもじゃないけどそのようなことはできませんでした。

特にメインイベントである9月13日(日)の「高岡開町まつり 前田利長公入城大行進」に、学校として参加する動きもなさそうだったので、
個人で応募することにしました。友人一人を誘って・・・。
陰キャラにとっては、これも大きな一歩だったと思います。




友人と自分は二人揃って「足軽役」としての応募でしたが、8月に事前説明会に参加してびっくり。
なんと自分は「前田利長公足軽高札役」、友人は「永姫公足軽高札役」になっておりました。
つまり、それぞれ前田利長公(俳優・勝野洋さん)、永姫公(俳優・浅野ゆう子さん
)の前で、「前田利長公」「永姫公」の高札を持って歩く役です。
確か入城大行進の応募資格は「高校生以上」だったと思いますが、高校生の参加も珍しかったのか、こんな大役に充てていただきました。

迎えた9月13日(日)のことは、今でも忘れられません。
高札をずっと持ちっぱなしで歩くのはとても疲れましたが(笑)、会場や沿道に約20万人が集まったとされ、多くの人で賑わっていたのは感動でした。

ちなみに翌9月14日(月)の北日本新聞一面に、この前田利長公入城大行進の様子が載りましたが、高札を持った私もしっかり写っておりました(笑)
写真には、この日特別巡行された御車山の勢揃いもバックに写っているため、現在「高岡御車山会館」に展示されております(笑)

以上のことから、開町400年は私にとって「原点」だと思っております。
あの時は行政も市民も関係なく、多くの人が「ジブンゴト」として、まちの節目を盛り上げていたと思います。
高岡市民が力を合わせたら、あれだけ大きなことができるんだと強く感動しましたし、この時に高岡市民でいられて本当に良かったなと思いました。




さて、その頃・・・入城大行進の事前説明会が終わった後くらいでしょうか。2009年8月。
高岡の情報発信などをするために、ブログを始めました。
「前身ブログ」と呼んでいるやつで、当時更新した記事のうち、個人的な投稿を除いたものをこちらのブログに移しました。

それも、2011年春頃までしか続きませんでしたが・・・。




また、高校2・3年頃は、学校帰りに寄り道をし、古城公園などの観光地や高岡駅前、新幹線や幹線道路の工事現場を見に行ったものです。
2009年8月、その様子を「ワンダラー」という詞に書いたのですが、9年後の2018年にあるシンガーソングライターさんに曲にしてもらい、現在はCD化までされました。






・・・そんなわけで、今一度人生を反省すべく、振り返りを始めましたが、
高校時代だけで長くなってしまった・・・。
せめて高校・大学くらいまで、と思っていましたが、今回はここまでにしたいと思います。

個人ブログなので、お許しください(笑)


高岡の歴史から学ぶこと

2010年2月8日、前身ブログにこんな記事を書きました。
(その後、当ブログに書き写しております)

奇跡・・・(前身ブログより)






当時17歳(18歳誕生日目前)の高校3年生が書いた稚拙な文章で恥ずかしい限りですが、
学校の図書室で高岡の歴史を学び、とても勉強になったという内容です。

この時読んでいたは、『高岡400年のあゆみ』(神保成伍氏著、文苑堂書店出版)という本で、高岡開町からの歴史がわかりやすく書かれております。
文苑堂書店でも販売されておりますので、興味のある方はぜひお買い求めください。




昨日のブログにも書いた通りですが、あれから10年も経って、何も行動していないというのは大いに反省すべきことだと思っております・・・。




さて、いつだったか忘れましたが、去年か一昨年くらい。
ひょんなことからこの本と再会を果たし、その後文苑堂書店で購入しました。
そして、何度も読み返し、最近もまた読み返しました。

やはり、歴史から学ぶべきことは多いなと思います。
というか、地域活性化に携わる以上、まずその地域の歴史をきちんと学ぶ必要があるでしょう。
このまちは一体どんなまちだったのか、どのように繁栄し、そしてどのように衰退して行ったのか。

かくいう私も、まだまだ高岡の歴史への理解は不十分だなと思っているので、これからも勉強していきたいです。
特に、「いつ頃から衰退が始まったのか」というポイントを、しっかり理解しなければいけないなと。




高岡の歴史について、高校生の時に抱いた感想は、一番最初のリンクにある通りですが・・・。
アラサーとなった今、改めて感じる「高岡」という町は、「経済都市」としての歴史が強かったのかなと。
言い換えると、「商人の町」といったところでしょうか。
また、「高岡商人」という言葉もあったと思います。

高岡城廃城後の前田利常公による「町人町」としての高岡再生に始まり、明治以降は北陸の経済都市として繁栄。
その勢いはとてもすごかったと思います。
1889(明治22)年に全国初の市(31市)のひとつとして市制施行したことも、その証明でしょう。

しかし、そんな高岡も地方衰退の波に飲まれていき・・・。
「経済都市」「商人の町」「町人町」としての勢いは、全くなくなってしまいました。
人口も減少し、特に中心市街地の衰退が激しいです(一方、郊外チェーン店舗は盛況です)。

極めつけの出来事となったのは、高岡市の財政難報道。
行政が今でも叩かれている状態ですが、果たして行政だけが悪いのでしょうか。
エビデンスはないのであくまで仮説(というか想像)ですが、私はこのような経済衰退の影響が一番大きいと思っております。

今後、高岡を再生させるには、やはり「経済都市」「町人町」としての勢いを取り戻すことだなと思います。
何も行動せずにただ行政を批判するだけでは再生できませんし、動くべきなのは行政よりも、むしろ民間・・・つまり「町人」でしょう。




最近そんなことを考えておりまして、私もようやく動き出す決意ができました。
このことに、学生時代にちゃんと気づいて、動くことができていれば・・・と思います。
「まちづくり」「地域活性化」とは何か、答えがないままとうとう10年もかかってしまいました。

10年かかってようやく出てきた「答え」。
次の10年は、その答えに基づいて取り組んでいきたいと思います。





相変わらず文章力がなく、まとまらない記事となりました・・・。