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高岡ふるさと応援隊会員No.0001のブログ

高岡市の情報をゆるーく発信。

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10年間の反省・・・長くなってしまったので「その①」

正直なところ、私がいつ「高岡を盛り上げたい!」と思い始めたのかは、よくわかりません。
ただ、祖父や父もそのような人間だったため、自然とそうなっていった、という感じでしょうか。

小学3年の時(2000年)には、夏休みの自由研究で高岡について調べ、大きな地図を作っていました。

そして、元々新幹線や道路などのインフラ整備に興味のあった私。
中学3年(2006年)の選択社会科にて、高岡駅の整備(橋上駅舎化など)や、北陸新幹線開業後の「飛越能の玄関口」としてのまちづくりについて学び、とても興味深く思っておりました。

でも、この頃はまだ、「高岡を盛り上げたい!」みたいな考えは、なかったと思います。



気がついたらそんな感じになっていったのは、たぶん高校2年の頃(2008年)。
きっかけが何だったかは、本当に覚えていません。
ただ、北陸新幹線や高岡駅の工事が始まろうとしていたこと、開町400年が目前に迫っていたことなどから、高岡のまちづくりに強く興味を持ち始めていました。
ケーブルテレビの開町400年関連の番組をよく見ていましたし、市長タウンミーティングに足を運んだこともありました。

これから迎える開町400年、高岡駅整備、北陸新幹線開業に、とてもワクワクしていた頃だったと思います。



そして迎えた2009年。
開町400年の動きは、常にケーブルテレビやネットでチェックし続けました。
自分が参加できるタイミングがないか、模索をしておりました。

ただ、今思えば残念だったのが、当時の私はいわゆる「陰キャラ」で自分に自信がなく、行動力もなかったことです。
また、今でこそ「まちづくり」の仲間が増えましたが、当時高校生の私には当然周りにそのような仲間はほとんどおらず。
だから、「人には言えない恥ずかしい趣味」みたいな感覚で、この思いを誰にも話せず、一人でこそこそネット上で騒ぐだけにとどまってしまいました。

この性格が長く尾を引いたと思います。

もし人望も厚く行動力のある「陽キャラ」の人が、私みたいな思いを持ってくれたら、と思いますが、もうこれは自己責任なので・・・(笑)
この時点でちゃんと自信を持って、行動をしていたら、変わっていただろうなと。大学時代然り。
それはいいとして。



高校3年になり、4月12日(日)に開町400年イベントのひとつ「高岡築城まつり 大石曳き」がありました。
高岡城の築城を再現するイベントで、桜馬場通りから高岡古城公園三の丸(市民体育館前)まで大きな石を運ぶという内容です。
団体参加だったので、「団体」を作れない私はただ見物に行っただけでしたが、当時通っていた高校がカナダ・サスカトゥーンとの交換留学事業をしていて、カナダの高校生が高岡に来ていたため、そのチームが参加しておりました。
ちなみに前年交換留学に参加していたため、「1年ずれていたら・・・」と思いながら見物しておりましたが・・・。
最終的には見物しているのが先生にバレ、途中から参加させてもらうことになりました(笑)
本当にありがたかったです。



この2009年は、高校もちょうど50周年を迎える年で、「まちと学校の節目の年を、一緒に盛り上げよう!」という空気が自然とできてくることに期待し、その時になったらぜひ参加しようと思っていたのですが・・・。
結局、学校として開町400年事業に参加していたのは、この大石曳きだけでした。
あとは、体育大会に利長くんが来てくれたことくらいかな。

「他力本願」はよくないなと、この時思いました。
なのにその後長らく「他力本願」の姿勢を続けるわけですが・・・(笑)
自分が「それくらい当然」と思っていることでも、実は自分だけしか思っていないことって、結構あります。
それを成し遂げたいなら、生徒会にでも入って学校を動かせば良かっただけのこと。
しかし、当時の自分には、とてもじゃないけどそのようなことはできませんでした。

特にメインイベントである9月13日(日)の「高岡開町まつり 前田利長公入城大行進」に、学校として参加する動きもなさそうだったので、
個人で応募することにしました。友人一人を誘って・・・。
陰キャラにとっては、これも大きな一歩だったと思います。




友人と自分は二人揃って「足軽役」としての応募でしたが、8月に事前説明会に参加してびっくり。
なんと自分は「前田利長公足軽高札役」、友人は「永姫公足軽高札役」になっておりました。
つまり、それぞれ前田利長公(俳優・勝野洋さん)、永姫公(俳優・浅野ゆう子さん
)の前で、「前田利長公」「永姫公」の高札を持って歩く役です。
確か入城大行進の応募資格は「高校生以上」だったと思いますが、高校生の参加も珍しかったのか、こんな大役に充てていただきました。

迎えた9月13日(日)のことは、今でも忘れられません。
高札をずっと持ちっぱなしで歩くのはとても疲れましたが(笑)、会場や沿道に約20万人が集まったとされ、多くの人で賑わっていたのは感動でした。

ちなみに翌9月14日(月)の北日本新聞一面に、この前田利長公入城大行進の様子が載りましたが、高札を持った私もしっかり写っておりました(笑)
写真には、この日特別巡行された御車山の勢揃いもバックに写っているため、現在「高岡御車山会館」に展示されております(笑)

以上のことから、開町400年は私にとって「原点」だと思っております。
あの時は行政も市民も関係なく、多くの人が「ジブンゴト」として、まちの節目を盛り上げていたと思います。
高岡市民が力を合わせたら、あれだけ大きなことができるんだと強く感動しましたし、この時に高岡市民でいられて本当に良かったなと思いました。




さて、その頃・・・入城大行進の事前説明会が終わった後くらいでしょうか。2009年8月。
高岡の情報発信などをするために、ブログを始めました。
「前身ブログ」と呼んでいるやつで、当時更新した記事のうち、個人的な投稿を除いたものをこちらのブログに移しました。

それも、2011年春頃までしか続きませんでしたが・・・。




また、高校2・3年頃は、学校帰りに寄り道をし、古城公園などの観光地や高岡駅前、新幹線や幹線道路の工事現場を見に行ったものです。
2009年8月、その様子を「ワンダラー」という詞に書いたのですが、9年後の2018年にあるシンガーソングライターさんに曲にしてもらい、現在はCD化までされました。






・・・そんなわけで、今一度人生を反省すべく、振り返りを始めましたが、
高校時代だけで長くなってしまった・・・。
せめて高校・大学くらいまで、と思っていましたが、今回はここまでにしたいと思います。

個人ブログなので、お許しください(笑)

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高岡の歴史から学ぶこと

2010年2月8日、前身ブログにこんな記事を書きました。
(その後、当ブログに書き写しております)

奇跡・・・(前身ブログより)






当時17歳(18歳誕生日目前)の高校3年生が書いた稚拙な文章で恥ずかしい限りですが、
学校の図書室で高岡の歴史を学び、とても勉強になったという内容です。

この時読んでいたは、『高岡400年のあゆみ』(神保成伍氏著、文苑堂書店出版)という本で、高岡開町からの歴史がわかりやすく書かれております。
文苑堂書店でも販売されておりますので、興味のある方はぜひお買い求めください。




昨日のブログにも書いた通りですが、あれから10年も経って、何も行動していないというのは大いに反省すべきことだと思っております・・・。




さて、いつだったか忘れましたが、去年か一昨年くらい。
ひょんなことからこの本と再会を果たし、その後文苑堂書店で購入しました。
そして、何度も読み返し、最近もまた読み返しました。

やはり、歴史から学ぶべきことは多いなと思います。
というか、地域活性化に携わる以上、まずその地域の歴史をきちんと学ぶ必要があるでしょう。
このまちは一体どんなまちだったのか、どのように繁栄し、そしてどのように衰退して行ったのか。

かくいう私も、まだまだ高岡の歴史への理解は不十分だなと思っているので、これからも勉強していきたいです。
特に、「いつ頃から衰退が始まったのか」というポイントを、しっかり理解しなければいけないなと。




高岡の歴史について、高校生の時に抱いた感想は、一番最初のリンクにある通りですが・・・。
アラサーとなった今、改めて感じる「高岡」という町は、「経済都市」としての歴史が強かったのかなと。
言い換えると、「商人の町」といったところでしょうか。
また、「高岡商人」という言葉もあったと思います。

高岡城廃城後の前田利常公による「町人町」としての高岡再生に始まり、明治以降は北陸の経済都市として繁栄。
その勢いはとてもすごかったと思います。
1889(明治22)年に全国初の市(31市)のひとつとして市制施行したことも、その証明でしょう。

しかし、そんな高岡も地方衰退の波に飲まれていき・・・。
「経済都市」「商人の町」「町人町」としての勢いは、全くなくなってしまいました。
人口も減少し、特に中心市街地の衰退が激しいです(一方、郊外チェーン店舗は盛況です)。

極めつけの出来事となったのは、高岡市の財政難報道。
行政が今でも叩かれている状態ですが、果たして行政だけが悪いのでしょうか。
エビデンスはないのであくまで仮説(というか想像)ですが、私はこのような経済衰退の影響が一番大きいと思っております。

今後、高岡を再生させるには、やはり「経済都市」「町人町」としての勢いを取り戻すことだなと思います。
何も行動せずにただ行政を批判するだけでは再生できませんし、動くべきなのは行政よりも、むしろ民間・・・つまり「町人」でしょう。




最近そんなことを考えておりまして、私もようやく動き出す決意ができました。
このことに、学生時代にちゃんと気づいて、動くことができていれば・・・と思います。
「まちづくり」「地域活性化」とは何か、答えがないままとうとう10年もかかってしまいました。

10年かかってようやく出てきた「答え」。
次の10年は、その答えに基づいて取り組んでいきたいと思います。





相変わらず文章力がなく、まとまらない記事となりました・・・。



ブログ復帰にあたって思ったことを色々

高校時代から、なんとなく「高岡を盛り上げていきたい」という思いが生まれ、
学生時代はブログやSNSでの情報発信を行い、大卒後は色んな地域活動にも参加してきました。

そんなことを続けているうちに、あっという間に10年。
特に大きな成果もないまま、アラサーを迎えております。




このブログも20歳だった2012年秋にスタートし、2013年頃にいったん更新が滞りましたが、
2014年以降はこまめに更新ができて良かったなと思っております。
(また、高校時代の2009年からやっていたブログ記事の一部も、このブログに移しました)

しかし、時が経つに連れて、それも惰性になっていき、
イベント情報や行政情報をただそのまま書き写すだけのことも増えていきました。

思えば、このブログの最初のタイトルは「高岡の将来を考える学生のブログ」。
すごく偉そうなタイトルだったな反省しております。
ちゃんと考えているなら良かったのですが、高岡の将来を考える頭なんてまるでなかった。

そんなことを考えているうちに、とうとうブログの存在意義を見失ってしまいまして、
2018年秋にいったん更新をやめることにしました。

この2018年秋は、実際の地域の活動でも色々と見失ってしまい、
路頭に迷いかけたところで市役所の臨時職として拾ってもらったタイミングでもありました。




正直その頃は、「自分にはそんな能力はないから、高岡の地域活性化なんて夢は諦めて、ひっそり生きよう」くらいのことを考えていました。

しかし、気がつけば2019年2月に「やまたちばな」代表就任という出来事があり、
またその間、高岡で新しい事業を起こそうという話も出てきました。





約10年間、「高岡を盛り上げたい」という漠然としたことをボーっと思っているだけで、結局何も考えない、何もしないままだった自分にとって、
この1年半は心を入れ替えるいい期間になったような気がします。




今年3月いっぱいで臨時職期間も終え、新型コロナウイルスの影響もあって再び家にこもる生活となっておりますが・・・。
先述の通り新しい事業を起こすので、その準備に取り掛かっているところです。

また、事業展開にあたって、高岡の将来はどうあるべきか、我々はどう取り組むべきか、ようやく真面目に考えているところであります。
ない頭で考えているので、まだまだ勉強中ではありますが、このブログにもそういった「考え」を書いていけたらなと思います。




まさか世の中がこんなことになるとは思いませんでしたが・・・。
どんな事態にでも打ち勝てる地域にしたいなと思うので、これから頑張っていきたいと思います。




結論、何が言いたいかというと、20代もあと僅かなのでようやく焦り始めているというところです・・・。



久々にブログを書く・・・

お久しぶりです。

2018年秋以降、ブログ更新に時間を費やせなくなったこと、ブログの方向性がわからなくなってきたことなどの理由で、更新を控えておりました。

しかし、昨今の情勢によって今は自宅生活となり、時間ができるようになりました・・・(笑)



とは言うものの、方向性は未だに迷っておりますし、
何よりも今は自粛等があって、地域情報の発信ができる状況ではないなと思います。



とりあえず方向性を考えながら、しばらく何らかの形で更新をしていきたいと思います・・・。



新年あけましておめでとうございます

新年、あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。

さて、いよいよ2020年代突入。
私にとっても27歳から37歳という時期の10年間となり・・・。
そろそろちゃんと人生を固めていかなければいけないなと思っております。

ブログの更新、滞っておりますが・・・。
今後の方向性もしっかり決めていきたいなと思います。

2010年代、お世話になりました。

ご無沙汰しております。
ブログ更新はかなり久々となりました・・・。

いよいよ2019年も大晦日。
2019年の終わりと同時に、2010年代という10年単位の区切りも終わりを迎えます。

東日本大震災などの大きな災害があり、「平成」から「令和」に時代が変わり、
地元高岡でも北陸新幹線開業などの出来事があった2010年代。





私自身の10年間を振り返ってみると・・・。




2010年
・高校卒業、大学入学
・東京の高岡市荻布学生寮に入寮
・大学で競馬サークルに入会するなど、「ウマ充」の日々

2011年
・荻布寮メンバーで白馬スノボへ行っていた時に発生した東日本大震災・・・
・2年生にして、荻布寮風紀委員長に就任
・荻布寮祭でバンドボーカルなど
・年末に体が・・・

2012年
・成人式後に20歳を迎える
・高岡市荻布学生寮古城会第49期委員長として四苦八苦
・高岡ふるさと応援隊会員No.0001
・学生団体「うまカレ」入会

2013年
・塾通い、氷見うどん店(東京)バイトなど、新たなる挑戦の日々
・高岡青年会議所事業「魅力ある高岡フォーラム」にて、高岡市長さん、あいの風とやま鉄道副社長さんと共に、パネリスト出演

2014年
・将来設計ミスって進路未定のまま大学卒業
・高岡にUターンし、ニート生活
・ニートだったが(笑)、高岡市広報誌『たかおか市民と市政』にて2ページの特集を組んでいただいた
・22歳にして、高岡観光ボランティアガイド「やまたちばな」入会
・元POG馬スノードラゴンのGⅠ勝利

2015年
・北陸新幹線開業
・市役所非常勤職員としての勤務スタート
・大学時代パネルスト出演でお世話になった高岡青年会議所に、賛助会員として入会

2016年
・高岡JC次世代育成実践委員会、タカポケ、大佛三郎カステラ、T-voice、TOYAMA TABLE、高岡熱中寺子屋、藤子先生ファン関係イベント、一心ほっと空間ライヴスタッフなどなど・・・なんか色んなことに参加していた年

2017年
・市役所非常勤退職
・特定非営利活動法人大佛三郎理事就任
・大仏エリアでの朝食事業と、クラフタン(山町ヴァレー)オープニングスタッフをほぼ同時期にスタート
・とやま観光未来創造塾ガイドコース(中級専攻)修了、認定ガイドに
・「えんとつの町のプペル展」イベントにて、歌手(笑)として出演

2018年
・やまたちばな入会5年目にして(笑)ようやくちゃんとガイドするようになり、北日本新聞さんに大きく取り上げていただいた
・NPO職員として勤務も挫折
・失職してすぐにタイミングよく市役所臨時職員として拾っていただいた
・たかおかPRアンバサダー、富山県青年議会
・念願の札幌競馬場へ行き、JRA全10場完全踏破

2019年
・26歳にして、やまたちばな代表に就任
・たかおかウェルカムサポート隊就任
・高岡JCで、高岡開町410周年事業の担当委員会に所属




こんな感じです(笑)
17歳(高校3年3学期)から、27歳までの10年間。
色んな経験をさせていただき、色んな思い出があります。
こうやって振り返ってみると、嫌なこともたくさんありましたが、それ以上に楽しい10年間だったと思います。

前身ブログのスタートは2009年で、2010年に入ってからは更新が滞りましたが・・・。
2012年に当ブログを開設。こちらも何度か更新が滞る時期があり、今年に入ってから再び更新できない状態になりました。。。

2020年代、このブログはどうなるかわかりませんが、可能な限り続けていけたらと思います・・・。
2010年代、ブログを見てくださった皆様、本当にありがとうございました。




それでは皆様よいお年を。

高岡古城公園 雪害寄附金のお願い

~詳しい情報はこちら~
高岡古城公園雪害寄附金のお願い(高岡商工会議所ホームページ)






当ブログでも何度もお伝えしております通り、高岡古城公園(国指定史跡・高岡城跡)は、今年の冬の豪雪の影響で、土塁の崩落、樹木の倒木・枝折れなど、甚大な被害(被害総額約3,000万円)を受けました
高岡市では、4月から「高岡古城公園雪害寄附金」を募集しております。

私も微々たる額ではありますが、先日寄附させていただきました。

高岡の誇る歴史遺産、そして市民憩いの場の、一日も早い復旧のため、多くの寄附が集まって欲しいなと思います。









※以下、上記高岡商工会議所ホームページのリンクより抜粋

~高岡古城公園雪害復旧寄附金募集趣旨~
 高岡古城公園は、2015年(平成27年)に国史跡に指定され、日本100名城、日本の歴史公園100選、さくら名所100選などにも選定されるなど、市民の憩いの場として、また多くの観光客にも親しまれる名園となっています。
 しかしながら、本年1月~2月にかけての記録的な大雪により、高岡古城公園においては、土塁の崩落や樹木の倒木、雪折れなど甚大な被害(概算見積約3,000万円)が発生する事態となりました。
 つきましては、多くの市民や観光客に親しまれ、歴史的価値の高い高岡古城公園を早期に復旧するため、その財源の一部として寄附金(被害総額の1割程度)を募集いたしますので、皆様のあたたかいご支援、ご協力を賜りますようお願い申し上げます。




~目標金額~
300万円以上(被害総額の1割程度)

~募集期間~
平成30年4月~6月末

~寄附区分~
高岡市への指定寄付金(古城公園の雪害による樹木等の復旧費に充当)

~税金対応~
①法人の場合  全額損金に算入が可能
②個人の場合  確定申告により所得控除が可能

~寄附手順~
①寄附の申出書を高岡商工会議所にご提出ください
 以下の高岡市宛ての申込書を高岡商工会議所へFAX(0766-22-6792)、または郵送ください
 寄附申込書はこちら【PDF】
②高岡市より納付書を送付いたします
③納付書を使って寄附金を高岡市あてに払込ください
④高岡市より寄附金受領証明書を送付いたします
※上記の手順によらず、高岡市役所6F花と緑の課窓口に直接納付もできます。
 
~お問い合わせ~
高岡商工会議所
933-8567 高岡市丸の内1-40
電話:0766-23-5000 FAX:0766-22-6792








参考写真 高岡古城公園 雪害状況











詳しい雪害状況の写真はこちら
高岡古城公園の雪害状況「非常事態」(2018年1月21日撮影)
高岡古城公園の雪害状況「非常事態」 その2(2018年2月9日撮影)



高岡古城公園の雪害状況「非常事態」 その2

2018年の豪雪。
まず、1月11日(木)から12日(金)にかけて、豪雪が北陸地方を襲い、高岡で80cm以上の積雪
そして、先日2月5日(月)から6日(火)にかけて、再び同じレベルの豪雪

先月の豪雪の後、高岡古城公園(国指定史跡・高岡城跡)の雪害状況を、当ブログでも取り上げました。
(参考:高岡古城公園の雪害状況「非常事態」

当時の報道では、少なくとも桜の木など30本以上が倒木し、240本以上で15cm以上の太さの枝折れが生じたとのことでした。

おそらく復旧もままならない状態だったと思います。そんな中で、今回の豪雪・・・。



今回の豪雪の後、2月9日(金)に、再び状況を確認しに行きました。
やはり多くの枝折れが見られました。先月の豪雪で折れたのか、今回の豪雪で折れたのか、素人では判別はつきませんが・・・。
しかし、先月の豪雪で折れたと思われる部分については、応急措置として枝そのものが切られていたので、恐らく枝折れが見られたのは今回新たに折れたものが多いと思われます。

つまり、被害は拡大しています。









北口駐車場から、雪が積もる階段を登って小竹藪へ。
その最中、小竹藪側の斜面を撮影。雪害と思われる枝折れがありました。








小竹藪その①
コシノヒガン、タカオカコシノヒガンなどの桜が多く生息する箇所。
枝折れがあります。







小竹藪その②







小竹藪その③
幹ごとやられている木が・・・。







小竹藪その④







三の丸(市民体育館)から、本丸・朝陽橋方面を眺める
手前の木(見にくいですが、写真左側)が枝折れしています。







搦手口周辺
奥に見えるのは、先月の豪雪で倒木し、法面が崩れた地点。
倒木はそのままになっています。








明丸(動物園)から、本丸を眺める
本丸の斜面に「古城の滝」がある場所。その周辺の木が、倒木や枝折れしています。







二の丸(市民体育館)に生える、大ケヤキ。
樹齢400年以上と言われる大木にも、枝折れが見られました。






二の丸(左)と本丸(右)を結ぶ土橋から、池ノ端方面を眺める
本丸側の斜面の木、倒木しています。先月見た時と変わっていません。
本丸入口から池ノ端、朝陽橋付近に至る通路(いわゆる「犬走り」)は、依然として通行禁止状態です。







本丸から朝陽橋方面へと階段を下る最中、枝のもとから完全に折れてしまっている木を発見しました。







朝陽橋から、中の島方面を眺める
写真左側の木が、枝折れしています。







朝陽橋から、三の丸方面を眺める
斜面に生える木が倒木しています。







ちなみに、朝陽橋はこんな状況。
通行可能だったので通りましたが、橋の前後に階段があるので危ないし、橋自体この状況なので非常に危険です。
通っていて、何度も心臓が止まりそうになりました。
通行禁止すべきレベルです。





さて、先日の報道では、復旧工事は早くて6月以降の着手になる見通しとのことで・・・。
少なくとも、4月の桜まつりには全く間に合いません(高岡古城公園は、「さくら名所100選」です)。
また、10月の万葉まつりにも間に合わない見通しとなっています。





高岡古城公園、「非常事態」です。



雪かきボランティア登録



昨日、高岡市ふれあい福祉センター内にある高岡市ボランティアセンターへ。
「雪かきボランティア」に登録させていただきました。

2年ほど前に、高岡観光ボランティアガイド「やまたちばな」を経由して登録させていただいたことがありましたが、出動要請は一度もありませんでした(笑)

今年はこの豪雪なので、もうちょっと早く登録するべきだったなと後悔しております。
社会人として初めて経験する豪雪に、学ぶことが多い2018年の冬です。


大雪再び 高岡市では「雪害対策本部」設置



2月5日(月)、夜の勤務を終えて駐車場に向かうとこの有り様。
車2台を脱出させるのに、30分近く。















2月6日(火)夜、広小路交差点周辺。









そして、我が家には1階を完全に覆うほどの雪山。






福井県では特に「56豪雪以来」と言われる大雪。
もちろん、富山県内もこの状況です。
1月の豪雪に匹敵するか、それ以上のレベルです。

末広町通りのアーケード、そして古城公園の樹木もとても心配な状況です。






さて、高岡市では本日「除雪対策本部」に代わり、「雪害対策本部」が設置されました。

雪害対策本部を設置しました。(高岡市ホームページ)

(上記リンクより引用)
今般、2月5日(月曜日)からの大雪で、積雪が90cmを超えており、また、今後も寒波が長期間継続し、低温で雪が解けにくい状況が続き、降雪が多くなる状況が予想されます。市では、これまで除雪対策本部で対応しておりますが、本日9時の大雪連絡対応会議を受け、全庁的に迅速な応急対策活動を行うために、雪害対策本部へ移行しましたのでご報告します。
(引用終わり)



今後も雪がどうなるやら・・・。とても心配です。